イヌの日






ゴールデンウィーク真っ只中の5月3日。
東京ウォーターフロントにある高層マンションの、橘照弘名義のその部屋は、いつものごとく橘義明こと直江信綱と、その主君仰木高耶のスウィートルームと化していた。

「直江……誕生日、おめでとう」

視線を逸らし、頬を赤らめて高耶が呟く。照れ屋なこの青年がこの一言を言うのに、どれだけ勇気がいったことだろう。

「ありがとうございます」

もう祝ってもらう歳でもないだろうに、直江は至極嬉しそうに微笑んだ。そのまま抱き寄せて優しくキスをする。いつもなら嫌がる高耶も、今日は大人しい。
調子に乗ってソファに押し倒そうとすると、ようやく高耶がストップを掛けた。

「ちょっと待て。せっかく誕生日プレゼント持って来たんだから、先に見てくれよ」
「高耶さんが、私に、ですか?」

まさか高耶が自分にプレゼントをくれるとは思わなかった直江である。驚いてまじまじと高耶の顔を見つめると、高耶は怒ったように唇を尖らした。

「そうだよ。…なんだよ、オレがおまえにプレゼントしちゃおかしいのか?」
「いえ、そんなことは…。ありがとうございます、嬉しいですよ」

慌てて微笑むと、高耶はよし、と頷いてカバンの中からなにやらごそごそと取り出し始めた。

「実は千秋と姉さんと譲からも預かって来たんだ。だから結構かさばって大変だったんだぞ」

感謝しろよ、と言う高耶の言葉を、だが直江は意識の片隅でしか聞いていなかった。

(長秀と晴家と譲さんから………?)

なんだか嫌な予感がする。
何が嫌って、まずメンバーが嫌だった。
いつも結託してからかってくる長秀と晴家は言うに及ばず、親友の高耶を大切に思うあまり直江を恨んでいるといっても過言ではない譲。
いったい何を寄越すつもりなのか……。
直江は警戒して、しっかり心にガードを張り巡らした。
ここで動揺すれば、高耶との甘い一夜が台無しになってしまう。冷静に落ち着いて、どんな物が来ても余裕を崩すことなく乗り切るのだ。そして愛しい高耶さんからのプレゼントを最上の笑顔で受け取り、最高の一夜を――――!

そう決心した直江の堅いガードをぶち壊してくれたのは、その最愛の高耶からのプレゼントだった。

「あ、あったあった。これ、オレからのプレゼントな」
「ありがとうございます、高耶さん」

予定通り最上の笑みを浮かべて受け取り、さっそく美しく包装されたプレゼントを開けてみる。
途端、直江の目は「俳優ばりの良い男」にあるまじき点目になった。
手の中にあるものを凝視し、間違いなくそれであることを確認すると、直江はぎちぎちと首を動かして、目の前で嬉しそうにしている高耶を見た。

「………あの……高耶さん………、これは………」
「ペディグリーチャムだ」

最愛の主君はにっこりと天使のような微笑みでのたまった。
そう。愛しい恋人からプレゼントされたそれは、どこからどう見てもトップブリーダー推奨のペディグリーチャム6缶セットだったのである。

「結構高かったんだぞ。でもおまえには健康でいてもらいたいから」

はにかんだように言う高耶。
だがそういう問題じゃない。
まさか本気でこれがプレゼントだというのだろうか。これを自分に食べろと?
思わず高耶の顔を伺ったが、高耶は訝しげな直江を気にも留めずに、次のプレゼントを取り出した。

「で、これが姉さんと千秋からで、こっちが譲からだ」

そして渡された犬用首輪と犬用ハーネスと犬用ブラシ………。
高耶は相変わらずにこにこと笑っている。

「皆おまえのこと考えてくれてるんだな」

それは違う。絶対違う。
ずんどこの気分に陥りながら、直江はそれでも必死に考えた。
なぜ自分がこんな仕打ちを受けねばならないのか。しかも高耶まで一緒になって――――。
そう考えて、ふと直江は思い当たったことを、恐々と口にしてみる。

「高耶さん、あの、もしかして……。この間のこと、まだ根に持ってるんですか………?」
「え?なんのことだ?」

すっとぼけた答えを返す高耶。
顔は満面の笑みを湛えている。
でも目が笑ってない………。
直江は確信した。

「まだ怒ってるんですね………」


この間のこと。それは、1ヵ月ほど前の、久しぶりに会った夜のこと。
次の日がバイトだから帰ると言う高耶を、無理矢理押し倒し一晩中抱き、足腰立たなくしてしまったのだ。
当然高耶の怒りは深く、当分会わないという言葉通り、今日まで高耶は会いに来てくれなかった。
電話で『5月3日に会いに来る』という言葉を聞いたとき、てっきりもう怒りは解けたものと思っていたのだが………。
どうやらティラミスにあんこと蜂蜜をかけたくらい甘い考えだったらしい。そうだ。景虎は結構根深い性格だった。いまさら思い出しても遅いのだが。
高耶の怒りに便乗したのであろう、長秀・晴家・譲が恨めしい。

「どうした、直江。まさか気に入らないのか?」

――――そんなことあるわけないよなぁ。
という副音声つきの声音で高耶が聞いてくる。
なんと答えたものか。だがもし「いらない」なんて言ったら、二度とここに来てくれなくなるかもしれない。開き直って犬セットを受け取るか、高耶の愛を失くすか。究極の選択だ。

「…………………とっても嬉しいです………」

苦しげな直江の答えに、高耶は満足そうに頷いた。

「そっか!良かった。じゃあこれ、ちゃんと使ってくれよな」

それは無理ってもんだろう。
だがこうなってしまっては、いまさらそんなことは言えない。

「………はい………」

退路を断たれた直江には、もはやこう答えるしか術がなかったのであった。






おまけ

その夜のこと。
昼間ずんどこな気分に陥れられたが、高耶の暖かい手料理で多少浮上した直江が風呂から上がったとき。

「ちょうど良かった。今コーヒー煎れたところなんだ」

そう言って高耶が差し出してくれたマグカップを受け取って礼を言い――――直江は気づいた。

「このマグカップはどうしたんですか?」

それは黒くてシックな感じのマグカップだった。だが直江はこんなマグカップをこの家で見た覚えがない。
さらに、高耶の手には直江と色違いの白いマグカップが握られている。

「ああ、これ?これが本当のプレゼント」
「え?」

驚きのあまり間抜け面になった直江を見て、高耶は楽しそうに笑った。

「まさか昼間の、本気にしてたのか?あれが誕生日プレゼントなわけないだろ。これが本当のプレゼントだよ。あと、こっちはオレの分」
「高耶さんの分?」
「しょっちゅうここに来てるからな。オレ専用のカップがあってもいいだろ?」

最後は少し照れたように、ぶっきらぼうに言う。
おそろいのマグカップが誕生日プレゼント。
これ以上嬉しいことがあるだろうか。
一気に浮上どころか舞い上がった直江は、いきなり高耶を抱きしめた。

「わっ!馬鹿!コーヒーが零れるっ」
「ああ、すみません。大丈夫ですか?」

高耶を気遣いながらも、手はしっかりと抱きしめたままだ。

「ったくもう……」

唇を尖らせながらも、高耶も本気では怒っていないようだ。
直江はそっと額に口づけて囁いた。

「ありがとうございます、高耶さん。本当に嬉しい…」
「ん……」

はにかんだように答える高耶が愛しい。
そのまま寝室になだれ込みたかったが、高耶の煎れてくれたおいしいコーヒーを飲んでからでも遅くはないだろう。
2人はぴったりと寄り添ったまま、暖かいコーヒーをおそろいのカップで飲む。ゆっくりと幸せな時間を過ごしながら、高耶は小さく呟いた。

「もし、一緒に暮らせるようになったら……」
「え…?」
「犬を飼いたいな。2人で…」
「そうですね」

犬を飼おう。譲がくれたブラシでブラッシングをして、晴家がくれた首輪を付けて、長秀がくれたハーネスをつけて散歩をしよう。
愛しいあなたと散歩をしよう。
それは、とても幸せな光景。
直江は高耶の髪を梳きながら、優しく微笑んだ。

まさか高耶が
(黒い大きな犬を飼って、"なおえ"って名前を付けよう)
と考えているなんて、幸せに浸っている直江に分かるわけもなかった。






おまけ2

数日後、直江の元に高坂から、油性マジックででかでかと「直江専用」と書かれた"犬用蚤取りシャンプー"が届いた。
それを見た途端、直江は天に向かって吠えたという。

「たとえ犬を飼っても、これだけは絶対に使わん!」





[終]

紅雫 著
(2000.05.02)


[あとがき]
注:ペディグリーチャムに6缶セットがあるのかどうかは定かではありません。信じないでくださいね(笑)。

紅雫風味の直江お誕生日小説はいかがでしたでしょうか?題名からして直江ファンに喧嘩売ってるようなお話ですが(爆)。皆様どうぞ剃刀なんぞ送らないでくださいね(笑)。これも愛ってことで(←どこがだ)。
さてここで問題です。果たして紅雫は、直江を
@嫌っている
A憎んでいる
B愛している
C落ちキャラだと思っている
Dイヌだと思っている
のどれでしょう(笑)?正解者にはもれなく高坂から犬用蚤取りシャンプーのプレゼントが(大嘘)。


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