永遠






―――永遠の愛なんて、本当は簡単に手に入るんだ。
死の瞬間に、愛されていれば…。俺はきっと幸せに死ねるんだろう。
だけど―――俺が死んだあと、お前の愛が消えてしまうかもしれない。
そんなのは、嫌なんだ…。






かすかな違和感で目が覚める。
高耶はうたた寝をしていたソファから、ゆっくりと身を起こした。
違和感の正体は「喪失感」。
先程までまどろんでいる自分の髪を、優しく梳いてくれていた手が消えている。
高耶はあたりをぼんやりと見回し、小さく呟いてみる。
「直江…?」
返事は無い。
しかし、高耶は直江の気配を感じ取っていた。そしてもう一つ、覚えのある気配の存在も。
場所は……玄関?
「客か…?」
訝しく思って、高耶は玄関へと続くドアに向かった。

「お前、いつまでこんなこと続けてる気だ」
目の前の男―――鮎川が繰り返す。
もう聞き飽きるほど聞いたこの台詞は、自分を案じるためのもので直江には何も言うことが出来ない。
「…戻るつもりはないと言っているだろう」
それでも言い返す直江に、鮎川はこめかみを引きつらせる。
「そんな我侭通ると思ってんのか。お前らのせいでまわりがどれだけ迷惑してるか分かってないんだな。色部さんだって、なにも言いはしないがお前が帰って来るのを待ってるんだぞ!」
鮎川の言葉に、直江は眉を寄せて耐える。
迷惑をかけているのは分かっている。鮎川の気持ちも、色部の気持ちも、痛い程分かりきっている。
それでも自分は諦めるわけにはいかないのだ。
最愛の魂を失くさないために。
永遠に、この腕に抱きしめるために…。

「直江」
突然かかった声に、直江も鮎川も思わずびくりと身体を揺らす。
「高耶さん?」
振り向いた直江の前で、リビングからのドアがゆっくりと開いていく。
そこには誰よりも気高く美しい人が佇んでいた。
その輝く瞳は、直江だけを見つめている。
「…目が覚めたんですか」
優しい声で問い掛ける直江に、鮎川は驚きを隠せない。
(こいつがこんな顔するとはな…)
そんな直江の態度を当然のように見て、ただ無表情に頷く高耶に、鮎川は苛立つ。
その鮎川に高耶はやっと視線を向けた。
「…あんたか」
高耶の声は、顔と一緒で表情が無い。
このことから直江は、彼が鮎川に景虎として応対するつもりであることを悟る。
鮎川は一瞬眉を跳ね上げたが、大人しく言葉を返した。
「お邪魔している」
高耶は再び直江に向き直ると
「こんなところで話してないで、リビングに上がったらどうだ?」
直江は少し困ったような顔をする。
リビングには先ほどまで高耶がいたのだ。
そのことに気付いているのかいないのか、高耶は言葉を続ける。
「客にコーヒーの一杯くらい出すのは礼儀だろう?」
だが直江は首を振る。
「いえ、すぐに済む話ですので」
そう言って、直江は鮎川を見る。
(よく嘘を言う。どこがすぐ済む話なんだ)
高耶は心の中で嘲笑った。
その思いは鮎川も同じだったのだろう、直江をすごい目つきで睨みつけている。
「俺に遠慮することはないぞ…?」
戯れるように笑いながら言う。
「それとも…俺には聞かせたくない話なのか?」
直江の顔が強張る。
(この人は…っ)
分かっていてこういう事を言ってくる。昔の景虎のような態度に、直江は瞬間苛立つ。
だがそれより早く、鮎川が口を開いた。
「いや、ちょうどいい。景虎殿にも言っておきたいことだ」
「鮎川!」
直江の咎めるような声に、しかし制止をかけたのは高耶だった。
「…言ってみろ」
「高耶さん…っ」
「いいから」
促すように、鮎川の眼をじっと見つめる。
その深紅の瞳に射抜かれ、鮎川は背筋が寒くなった。それでも腹に力を込めて、声を絞り出す。
「…あんた、直江をどうするつもりなんだ。そいつはあんたと違ってまだ将来があるんだ。まだ、やり直せる。あんたといたら、直江は目茶苦茶になっちまうんだ」
高耶の放つ、無言の圧力に震えそうになる身体を必死に抑えて、言葉を紡ぐ。
だが、高耶の表情は変わらない。
「あんただって分かってんだろう。いい加減そいつを解放してくれないか」
動かない高耶に、鮎川は腹立ちを押さえ切れず声を荒げた。
「鮎川!それ以上言うな!」
怒りを込めて直江が睨みつけてくる。それに鮎川が言葉を返そうとした時、高耶の静かな声が二人の動きを止めた。
「解放…?」
はっとして、二人は高耶に視線を戻す。
高耶は口唇に薄く笑みをはいて二人を見つめていた。
その表情は、直江が400年間こだわりつづけた勝者の顔だった。いや、正確にはそう見える顔だった。
少なくとも鮎川にはそう見えた。
「解放なんて、とっくにしてる。あの山荘を出たとき、俺はもう鎖を断っていたんだ」
そう言って微笑む。
「それでもこいつは俺を追いかけてきた。それはこいつの意思であって、俺が強制したわけじゃない。全てこいつが勝手にしていることだ。それをどうにかしろって言うのはお門違いだろ」
直江の苦悩を、まるでどうでもいいことのように言い放つ。
鮎川は怒りを抑えられずに叫んだ。
「じゃあ、こいつが何しようとどうでもいいってのか?あんたのために全てを捨てたのに、それを何とも思わないのか!」
悔しさのあまり涙が滲む。
(なんでこんな奴に直江を取られなきゃならないんだ!)
そんな鮎川の激情を、高耶はさも可笑しそうに笑った。
「あんた、変な奴だな。こいつに戻ってきて欲しいんじゃなかったのか?それなら俺がこいつを縛ってないのは好都合だろう」
鮎川には高耶の本心が読めない。だから全てを額面通りに受け取ってしまう。
しかし、直江は高耶の心を知っていた。だからこそ黙って聞いている。彼のプライドの高さを知っているから。自分以外の人間に弱さを、心を見せない人だからこういう態度を取るのだと、直江には分かっていた。
本当の彼の心は叫んでいる。
――――終わりたくない!まだ終わらせない!
その叫びを聞き取ることができるのは自分だけだ。
自分だけが彼の声を聞き、彼の願いを叶える。
「…鮎川。俺は戻らない。この人と共に生きると決めたんだ」
直江の静かな声に、鮎川は余計に怒りを煽られる。
「何でだ!何でなんだ!」
溢れそうになる涙を必死で堪えながら、鮎川は怒鳴った。
「お前は正気じゃない。なんでこんな奴に…」
しばらく黙って聞いていた高耶が、ゆっくりと口を開く。
その顔は、先ほどまでの嘲笑が浮かんだ顔ではない。無表情でもない。どこか哀しげな、けれど強い瞳で鮎川を見つめていた。
「そう…、正気じゃないんだよ。人間ですらない。400年も生き続けてきて、俺達はとっくにおかしくなってるんだ」
鮎川は言葉を失って、高耶を見た。直江も何かを堪えるように眉を寄せ、ひたむきに高耶を見つめている。
「…どうするつもりなんだ、これから。怨将として生きていくつもりなのか。それがあんたの望みか?」
その言葉に高耶は静かに首を振った。
「俺が今生きているのは、直江の永遠を確かめるためだ。自分がしてきたことのかたはつける。そのために活動してるのは事実だ。だが生きる理由じゃない」
俺の生きる理由は、と言葉を続けながら直江をその虎の瞳で捕らえる。
「永遠の愛が本当にあるのか確かめるためだ」
何よりも愛しいその瞳に見据えられて、直江は動けない。
「永遠の愛……?」
鮎川が訝しげに尋ねる。
高耶は再び微笑む。まるで天使のような、けれどどこか冷たい笑みを。
そして直江の腕に手を掛けながら答える。
謳うように、囁くように…。
「そう、こいつが言ったんだ。『俺を永遠に愛する』って。だから、俺はそれを確かめるために生きる。本当に永遠の愛なんて存在するのか、見届けてやるんだ」
直江がゆっくりと高耶の腰に腕を回す。そうして直江に凭れかかる高耶に再び苛立って、鮎川は挑むように言葉を投げる。
「じゃあ、もし永遠が無かったらどうするんだ。こいつが心変わりしたりしたら、あんたはどうするつもりなんだ」
「そうしたら、嘲笑ってやるのさ。また嘘をついたと。この男には何一つ真実は無かったと笑ってやる。そうして俺は消滅するだけだ」
(そう、こいつが俺の生命だから…。こいつに愛してもらわなきゃ死んじまうんだ、俺は)
表情一つ変えずに微笑んだまま言い放つ高耶に、鮎川は薄ら寒いものを感じた。
「消滅?」
その意味を問いただそうとすると、直江が遮るように言った。
「消滅なんてさせない。心変わりなんてあるわけがない。俺は永遠にあなたを愛しつづけますよ」
強いその口調に、高耶は自分を包み込んでいる男を見上げ、それからそっと瞳を伏せた。
「…じゃあ、確かめたらどうするんだ?」
それはもう一つの問い。
聞きたかったのは鮎川だけではない。直江も知りたかった。
(あなたは、どうしたいんですか…?)
高耶は少し驚いたように鮎川を見ると、急に考え込む。
「それは…考えてなかったな。俺は永遠の愛なんて信じてないから」
そう言って、再び揶揄うような笑みを直江に見せる。
その答えに、直江は何処かで安堵した。
(永遠の愛を確かめたら、あなたは消えてしまいそうだから…)
「それならそれで構いませんよ。俺があなたを永遠に愛しつづけることに変わりはない」
そう囁いて抱きしめようとする腕をするりと躱し、高耶はリビングのドアに手をかけると、
「…もういいだろう?眠いんだ。少し寝てくる」
「ベッドで寝て下さいね」
直江の言葉に微かに頷くと、鮎川に視線を向ける。
その瞳が一瞬笑みを浮かべたのを、鮎川だけが見ていた。

リビングのドアが閉まる。
鮎川は何時の間にか詰めていた息を、盛大に吐き出した。身体中がこわばっている感じがする。
その様子に、高耶の姿を追っていた直江の目が向けられる。
物言いたげなその視線に、鮎川は苦々しく頭を振った。
「…あれは人間じゃない。魔物だな」
まるで精気を吸い取られたようだ、と呟く。
「綺麗な姿で人間を魅惑して魂を喰らう、あれは魔物だ…」
そうかもしれない、と直江は思う。
それでも…、言葉にして続けた。
「それでも、俺はあの人を手放せない。鎖が欲しいのは俺だ。あの人が天に飛び立ってしまわないように、この腕の中に繋ぎ止めておくための鎖が欲しい…」
直江の表情はどこまでも苦しげで、切々とした想いが伝わってくる。
「あの人を救いたいんだ」
「救えるのか…?」
鮎川の問いに、直江は強い瞳をあげる。
昔のような冷たい瞳ではない。熱く滾った瞳を。
「救ってみせる。今度こそ。あの人が、俺の生命なのだから」





[終]

紅雫 著
(1999.12.27)


[あとがき]
シリアス…のつもりなんですけどねぇ。場所と時間設定がないせいで、ただのイメージ小説になってしまいました。高耶さんを美しく(爆)儚い感じに書きたかったの。ただそれだけ(笑)。鮎川がかわいそうかも?


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