愛しい君のかわいい嘘






 5月2日の深夜のことである。赤鯨衆本部の浦戸城内にある幹部棟の一室で、仰木高耶はばさばさと書類の束をまとめていた。

「よし、準備完了」

 なんだかやけに気合を入れて立ち上がる。
 ちらっと見た視線の先には、5月3日にでっかい赤丸がついたカレンダーがぶらさがっていた。





「なんだこれは」

 5月3日、朝食後の橘義明こと直江信綱は、いつものように自分のところに来た報告書をチェックしていた。その中に、報告書とは思えない真っ白な封筒が混じっていたのである。差出人の名も住所も何も無い。おそらく隊士の誰かが紛れ込ませたのだろう。
不審に思いつつ開けた封筒の中には、一枚の紙が入っていた。読んだ途端、直江は真っ青になって立ち上がる。
 そこには、『仰木高耶は預かった。無事な姿を見たければ、今日の午後12時に高知プリンスホテル503号室へ一人で来い。ただし、誰かに一言でもこのことを漏らせば、その瞬間に仰木の命はないものと思え。』と無機質に印刷されていた。

「高耶さん…!」

 慌てて高耶の部屋へと走るが、いつもなら報告書を持って出入りする高耶の部屋は、無人で静まり返っていた。
 ますます焦って、直江は土気色の顔であたりを見回す。そのときちょうど通りかかった楢崎を、ものすごい勢いで捕まえた。

「わああああっ!な、なんだよ!」
「仰木隊長はどこへ行った!?」
「お、仰木さん?仰木さんなら、今日は休暇だって」
「休暇だと?」

 激しく眉をひそめた直江の腕からなんとか逃げ出して、楢崎は呼吸を整える。

「昨日のうちに仕事全部終わらせて、今日は朝から出かけてるらしいぜ」
「どこへ行ったか分かるか?」
「さあ、誰も聞いてないんじゃねぇの?バイク残ってっから、遠出はしてないと思うけど」

(ということは、ここから無理に連れ去られたわけじゃないってことか)

 それでは目撃者すら見つからない可能性がある。直江は舌打ちしたい気持ちをなんとか抑えた。その険しい顔を見て、楢崎が恐る恐る声をかける。

「あのさ、なんかあったわけ?仰木さんに」
「――――別に何もない。気にするな」

 それだけ言うと、直江は踵を返して早足で去っていく。それを見送って楢崎は大きくため息をついた。





 直江は焦っていた。誰に聞いても高耶の足取りはまったく掴めず、犯人の見当もまったくつかない。だからと言って、どこかから見張られているかもしれない状況で、うっかり誰かに話すわけにもいかない。もはや仕事どころではなかった。

(高耶さん、いったいどこに…)

 なんの手がかりも掴めないまま時間は刻一刻と過ぎて、直江は逸る気持ちでホテルへと向かった。ホテルに着くと、すぐフロントへ向かう。

「503号室は誰の名前で予約してある?」
「503号室ですね。兵頭様のご予約になっておりますが」

(兵頭だと!?)

 叫びが喉元までこみ上げる。フロントマンに礼も言わず、直江はエレベーターに向かって駆け出した。

(高耶さん、どうか無事で!)

 なぜ兵頭が高耶を拉致ったのかなど、どうでも良かった。ただひたすら高耶の身を案じ、兵頭への怒りを募らせながら、直江は503号室の扉をノックした。
 返事は無い。直江は呼吸を整え、慎重に扉に手をかけた。鍵はかかっていなかった。ゆっくりと音も無くノブを回して、薄暗い室内に入る。
 そのとき、奥から人の気配がした。はっと身構えた直江を、聞きなれた声が呼んだ。

「直江?」
「高耶さん!」

 慌てて走りこんだ直江を、それまで眠っていたのか、高耶はベッドから半分寝ぼけた顔で見上げていた。その身体を無理やり引き起こして、直江は強く抱きすくめる。

「無事でよかった…!」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、高耶は苦しそうに喘いだ。

「直江、苦しいっ」

 抱きしめる腕を緩めた代わりに、直江は高耶の肩をがしっと掴んで真剣にその瞳を覗き込んだ。

「高耶さん、いったい何があったんですか。あの男に、なにもされてない?」
「あの男って?」

 不思議そうに首をかしげる高耶に、直江は怒りを思い出して声を荒げる。

「兵頭ですよ!あなたを誘拐するなんて、いったい何を考えて……」
「ああ、兵頭は別に関係ないぞ。名前を借りただけだ」

 ようやく合点がいって、高耶は直江の勘違いを笑って否定した。その『すべてわかっている』というような高耶の顔に、直江はなんだか嫌な予感がした。

「……どういうことです?」
「だからな、あの手紙は嘘だったってこと」
「嘘?」
「そう。だってこれ、オレがひとりでやったことだから」
「!!」

 あの手紙出したのもオレだぞ、と高耶はなんだか得意そうな顔で笑っている。
 当然直江にはわけがわからない。

「なぜこんなことをしたんですか!」
「今日はどうしてもおまえと二人っきりで過ごしたかったんだ」

 からかわれた怒りに思わず怒鳴ってしまった直江に対し、高耶は至極あっさりと言った。その言葉に、直江の目が見開かれる。

「今日が何日か分かってるか?」
「今日ですか?今日は確か……」

 日付を言おうとして、直江はようやく気がついた。

「今日はお前の誕生日だろ。でも赤鯨衆の中じゃ、二人っきりにはなれないし。だからここまで呼び出したんだ」
「高耶さん……」
「だけど、おまえとオレが示し合わせて出たんじゃ、絶対ばれちまうし。そんであんな方法にしたんだけど。心配したか?」
「めちゃくちゃしましたよ、まったく……」

 がっくりと脱力した直江に、高耶は抱きついてその胸に顔を埋めた。

「ゴメン、ちょっと驚かすだけのつもりだったんだ」

 自分を抱きしめたときの直江の顔を見て、高耶はほんの少し後悔していた。本当は『驚いただろ』とからかってやるつもりだったのに、直江の泣きそうな声を聞いたら、何も言えなくなってしまった。

「怒ってるか?」
「少しだけ」
「……じゃあ、今日はもう帰る?」

 残念そうな瞳で見上げてくる高耶に、直江はようやく心から微笑んだ。

「まさか」

 すぐ返ってきた否定を聞いて、高耶はほっとしたように笑った。そしてふと思い出したように直江に告げた。

「あ、仕事は心配しなくていいからな。嶺次郎におまえの分の休暇も貰ってあるから。ホテル代もちゃんと借りてあるし」
「……そこまで準備してたのなら、普通に呼び出してくださいよ」
「だから驚かせたかったんだってば」

 唇を尖らすその顔は、いつもとは比べ物にならないほど幼くて可愛らしい。自分だけに見せてくれる表情だ。直江は小さく苦笑すると、優しくその身体を抱きしめた。

「本当に驚きましたよ。こんな素敵なプレゼントが貰えるなんて、思ってもいませんでした」
「嬉しいか?」
「ええ、すごく」

 直江の言葉に、自分のほうこそ嬉しそうな顔になる。こんな顔が見られるのなら、怒ったりせずにすぐに喜んでやればよかったと直江は思った。

「今日はずっと一緒にいられるの?」
「ああ、朝まで一緒だ」
「それは嬉しいですね」
「だろ?」
「ということは、もちろんあなたもプレゼントですね?」
「この部屋ごと、今日はおまえのものだよ」

 高耶はゆっくりと直江の首に腕を回した。

「誕生日おめでとう、直江」

 言葉と同時に、柔らかな唇が重なる。
 そして、振り回されて走り回った半日を差し引いてもありあまるほどの贈り物を、直江は手に入れたのだった。





[終]

紅雫 著
(2001.05.01)


[あとがき]
甘々にしようと思ったのになりきらず、途中シリアスもどきが入ってしまってちょっぴり残念。
直江が幸せになる甘々小説なんて、あまりにも久しぶりに書くものだから、かなり戸惑いました(笑)。
なにはともあれ、橘義明氏、誕生日おめでとう♪


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