「よし、準備完了」
なんだかやけに気合を入れて立ち上がる。
5月3日、朝食後の橘義明こと直江信綱は、いつものように自分のところに来た報告書をチェックしていた。その中に、報告書とは思えない真っ白な封筒が混じっていたのである。差出人の名も住所も何も無い。おそらく隊士の誰かが紛れ込ませたのだろう。 「高耶さん…!」
慌てて高耶の部屋へと走るが、いつもなら報告書を持って出入りする高耶の部屋は、無人で静まり返っていた。
「わああああっ!な、なんだよ!」 激しく眉をひそめた直江の腕からなんとか逃げ出して、楢崎は呼吸を整える。
「昨日のうちに仕事全部終わらせて、今日は朝から出かけてるらしいぜ」 (ということは、ここから無理に連れ去られたわけじゃないってことか) それでは目撃者すら見つからない可能性がある。直江は舌打ちしたい気持ちをなんとか抑えた。その険しい顔を見て、楢崎が恐る恐る声をかける。
「あのさ、なんかあったわけ?仰木さんに」 それだけ言うと、直江は踵を返して早足で去っていく。それを見送って楢崎は大きくため息をついた。
(高耶さん、いったいどこに…)
なんの手がかりも掴めないまま時間は刻一刻と過ぎて、直江は逸る気持ちでホテルへと向かった。ホテルに着くと、すぐフロントへ向かう。
「503号室は誰の名前で予約してある?」 (兵頭だと!?) 叫びが喉元までこみ上げる。フロントマンに礼も言わず、直江はエレベーターに向かって駆け出した。 (高耶さん、どうか無事で!)
なぜ兵頭が高耶を拉致ったのかなど、どうでも良かった。ただひたすら高耶の身を案じ、兵頭への怒りを募らせながら、直江は503号室の扉をノックした。
「直江?」 慌てて走りこんだ直江を、それまで眠っていたのか、高耶はベッドから半分寝ぼけた顔で見上げていた。その身体を無理やり引き起こして、直江は強く抱きすくめる。 「無事でよかった…!」 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、高耶は苦しそうに喘いだ。 「直江、苦しいっ」 抱きしめる腕を緩めた代わりに、直江は高耶の肩をがしっと掴んで真剣にその瞳を覗き込んだ。
「高耶さん、いったい何があったんですか。あの男に、なにもされてない?」 不思議そうに首をかしげる高耶に、直江は怒りを思い出して声を荒げる。
「兵頭ですよ!あなたを誘拐するなんて、いったい何を考えて……」 ようやく合点がいって、高耶は直江の勘違いを笑って否定した。その『すべてわかっている』というような高耶の顔に、直江はなんだか嫌な予感がした。
「……どういうことです?」
あの手紙出したのもオレだぞ、と高耶はなんだか得意そうな顔で笑っている。
「なぜこんなことをしたんですか!」 からかわれた怒りに思わず怒鳴ってしまった直江に対し、高耶は至極あっさりと言った。その言葉に、直江の目が見開かれる。
「今日が何日か分かってるか?」 日付を言おうとして、直江はようやく気がついた。
「今日はお前の誕生日だろ。でも赤鯨衆の中じゃ、二人っきりにはなれないし。だからここまで呼び出したんだ」 がっくりと脱力した直江に、高耶は抱きついてその胸に顔を埋めた。 「ゴメン、ちょっと驚かすだけのつもりだったんだ」
自分を抱きしめたときの直江の顔を見て、高耶はほんの少し後悔していた。本当は『驚いただろ』とからかってやるつもりだったのに、直江の泣きそうな声を聞いたら、何も言えなくなってしまった。
「怒ってるか?」 残念そうな瞳で見上げてくる高耶に、直江はようやく心から微笑んだ。 「まさか」 すぐ返ってきた否定を聞いて、高耶はほっとしたように笑った。そしてふと思い出したように直江に告げた。
「あ、仕事は心配しなくていいからな。嶺次郎におまえの分の休暇も貰ってあるから。ホテル代もちゃんと借りてあるし」 唇を尖らすその顔は、いつもとは比べ物にならないほど幼くて可愛らしい。自分だけに見せてくれる表情だ。直江は小さく苦笑すると、優しくその身体を抱きしめた。
「本当に驚きましたよ。こんな素敵なプレゼントが貰えるなんて、思ってもいませんでした」 直江の言葉に、自分のほうこそ嬉しそうな顔になる。こんな顔が見られるのなら、怒ったりせずにすぐに喜んでやればよかったと直江は思った。
「今日はずっと一緒にいられるの?」 高耶はゆっくりと直江の首に腕を回した。 「誕生日おめでとう、直江」
言葉と同時に、柔らかな唇が重なる。
[終]
紅雫 著 [あとがき] 甘々にしようと思ったのになりきらず、途中シリアスもどきが入ってしまってちょっぴり残念。 直江が幸せになる甘々小説なんて、あまりにも久しぶりに書くものだから、かなり戸惑いました(笑)。 なにはともあれ、橘義明氏、誕生日おめでとう♪ |
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