天使のKiss






12月24日は、神の生誕前夜である。
むろんこの平和な世の中、キリスト教徒でない人間ですらお祭り気分で盛り上がっているわけだが、敬謙なるキリスト教徒にとってはさらに重大な記念日であった。
当然、小さな街の小さな教会でも、クリスマスは忙しい。
この街に赴任してまだ一年目の牧師である直江信綱は、24日の朝からクリスマスミサの準備に追われていた。
そろそろ昼になる。子供たちが終業式を終えて、家に帰る頃だ。教会の子供クリスマス会は3時からだから、それまでには準備を終えなければ。
直江は予想される大騒ぎに、疲れた溜息を漏らした。
子供は嫌いではない。だが、あの集団の騒々しさはなんとかならないものか。
この地域では、特にキリスト教徒が多いわけでもないのに、教会によく人が集まる。しかし以前もそうだったのかといえば、そうでもなかった。ひとえに直江の俳優のような外見と愛想の良さが原因であるのだが、子持ちの主婦にモテたって嬉しくも何ともない直江であった。

そんなことを考えながら買い物をし、家に帰る途中、コートの裾をつんつんと引っ張られた。

「?」

なにかと思って振り向いた先には、直江の腰ほどの背丈しかない愛らしい少年が立っていた。学校帰りなのか、その背中には少し大きすぎるランドセルを背負っている。

「こんにちは」

直江が振り向くと、少年はにっこり笑って言った。その不思議な輝きを宿す瞳に魅入られながらも、直江は微笑み返した。

「こんにちは。なにかご用ですか?」

尋ねると、少年はこくりと頷く。だがすぐ困ったような顔になって、首を傾けながら直江の顔をうかがっている。その可愛らしい仕草にますます笑みを深くしながら、直江は優しく聞いた。

「どうしたの?」

直江の微笑みに勇気づけられたように、少年は再び口を開いた。

「えっと、名前なんていうの?」

少年はそう言ってから慌てて付け足す。

「オレ、2年1組、仰木高耶」
「私は直江信綱です」

礼儀正しい少年に、こちらも礼儀正しく答える。すると高耶と名乗った少年は、嬉しそうに微笑んだ。

「なおえ?じゃ、直江、オレを神様の家に連れてって」

小学生に直江と呼び捨てにされたことより、神様の家という単語を理解できず、直江は怪訝な顔をしてしまった。
その顔に、高耶は直江の胸元を指した。

「直江は神様の家の人なんじゃないの?その形が目印だってお母さんが言ってた」

小さな手が指差す先には、コートの上から掛けられた銀の十字架があった。そこでようやく直江は“神さまの家”がなんなのか思い至る。

「ああ、教会に行きたいんですか。それなら私も今から帰るところですから、一緒に行きましょう」
「うん!」

少年はぱぁっと破顔すると、直江の隣に並んで歩き出した。







道々、自分のことを楽しそうに話す高耶を、直江は微笑ましい気分で聞いていた。家族のこと、学校のこと。この年頃は経験全てが楽しくて仕方がないのだろう。話は尽きなかった。
「高耶さんは学校の帰りですか?」
「うん。今日は終業式だから早かったんだ。直江は?」
「私はクリスマス会のお菓子を買いに行ってたんですよ」
「クリスマス会?」

なにそれ?と高耶は不思議そうな顔で聞き返して来た。直江は驚いて問い返す。てっきり高耶もクリスマス会に参加する子供だと思っていたのだ。

「高耶さんはクリスマス会のために教会に来るんじゃないんですか?」
「違うよ。ねえ、クリスマス会ってなに?」
「ああ、クリスマス会というのは…」

直江の説明を聞いて、高耶は首を傾げた。

「子供がお菓子食べて騒ぐのが、神様のお祝いになんの?」
「そう言われてしまうと困るんですが…」

直江は苦笑する。実際、クリスマスが神様の誕生日でそのお祝いをする日だとは、一割の子供すら分かっていないだろう。

「それで、高耶さんはどうして教会に行きたいんですか?」
「神様に会いに行くんだよ」
「神様に…?」
「そう。氏照兄達も待ってるし」
「氏照兄?」
「オレの2番目の兄上。直江とおんなじくらいの歳で、すっごく優しい。直江に少し似てるかも」

久しぶりに会うんだ、と嬉しそうに語る高耶に、直江は先程聞いた家族構成を思い出し、不審に思う。

「高耶さんは、お父さんとお母さんと妹の4人家族なんじゃなかったんですか?」
「こっちではそうだよ」
「こっち?」
「オレはまだ一人前じゃないから、こっちでも家族が必要なんだって。だから仰木の家にお世話になってるんだ」

(つまり養子ということか?)

「じゃあ、あなたの本当の家族は別のところにいるんですか」
「うん、あそこにいるよ。神様とおんなじところ」

あそこ、と言って高耶が指差したのは、ちょうど着いた教会の上空だった。

(空?)

唖然として空を見上げた直江は、ふと嫌な予感に囚われた。
たいていの子供は、天国が空にあると思っている。本当の家族と暮らさずに、養子になっているという高耶。もしそれが、家族が死んでしまったためだとしたら。神様とおなじところにいる家族に会いに行くいうのは――――。
視線を戻した直江の視界に、教会の扉を開ける高耶の姿が映る。

「わぁ…!」

高耶の唇から歓声が漏れた。
教会は隅々まで掃除され、クリスマスのために美しく装われていた。入り口の上にあるステンドグラスからは真昼の日光が色とりどりに降り注ぎ、正面の十字架を荘厳に照らしている。
高耶はもの珍しそうに辺りを見回しながら、奥へと進んでいく。直江は慌てて近くの椅子に荷物を降ろし、高耶の後ろについていった。
一番奥にある宣教台まで来ると、高耶はくるりと直江を振り向いた。

「ここまで連れて来てくれてありがとう、直江」

微笑んだその瞳が急に遠く感じられて、直江は不安が大きくなるのを感じた。

「高耶さん、ここで何をするんですか」
「だから、神様に会いに行くんだよ」

忘れっぽいなぁ、と高耶は笑うが、直江はとても笑える気分ではない。

「どうやって…」

直江の質問を無視するように、高耶は突然宣教台の上に登りだした。

「ちょ、ちょっと、高耶さん。危ないですよ。そんなところに登らないでください」
「へーき。……うん、ここからならオレも行ける」

ちょこんと台の上に座った高耶は、もう一度辺りを見回して、にっこりと笑った。

「たかやさ……」

直江には何がなんだか分からない。思わず掛けようとした声が、途中で止まった。

「な…に…?」

高耶の小さな身体が光り始めていた。目の錯覚かと思ったが、その光はどんどんと強さを増していく。

(なんだ!?)

目を開けていられなくなるほどの光が、教会の内部を埋め尽くしていく。
長いような短いような時が過ぎて、やがて光が薄れたのを感じ、直江はゆっくりと瞳をあけた。その瞬間、驚愕に言葉を失くす。

「!!」

そこには、先程とおなじように柔らかな光に包まれた高耶が座っていた。
その背中に、小さな身体を覆い隠せるほどの二対の白い大きな翼を広げて。

「高耶さん…」

呆然と名を呟かれ、高耶は小さく微笑んだ。

「オレはまだ半人前だから、神様の力が満ちてる所からじゃないと帰れないんだ。向こうの天国の門までは兄上が迎えに来てくれてるから大丈夫なんだけど」

そして、「直江」と呼んで手を伸ばす。
直江は引き寄せられるようにその手を取っていた。高耶を覆っている柔らかな光は、それだけで熱を持っているのか、高耶の周囲は冬の空気が薄れて暖かくなっている。
高耶は小さな両手で直江の頬を包み込むと、ゆっくりと顔を近づけた。正面から近づいてくる瞳に魅入られ、直江は瞬きもできない。

「直江に、神様の祝福がありますように」

高耶の唇が囁く。
額に柔らかな唇を感じた瞬間、直江は反射的に瞳を閉じた。
額の一点から、なにかが流れ込んでくるのを感じる。それは直江の全身を巡り、内側から直江を温めた。
やがてぬくもりが遠ざかるのを感じ、直江は静かに目を上げた。そして再び驚きに目をみはる。
そこにいたのは、今まで一緒にいた高耶ではなかった。高耶の面影を残した16,7歳の少年。

「高耶さん…?」

確かめるように呼ぶ声に、少年は鮮やかに微笑んでみせると、一回り大きくなった翼を羽ばたかせた。その拍子に、幾枚かの羽根が散る。
再び辺りが光に包まれた。
ふわり、と浮き上がった身体を、直江はただ呆然と見つめていた。

「またな、直江」

強くなる光の中心から、少年の声が聞こえる。どこか遠いその声に、直江は思わず叫んでいた。

「待って、高耶さん!」

その声は届いたのだろうか。
高耶の放つ光はさらに強くなり、やがて全てが見えなくなった。







気づいたとき、直江は一人呆然と佇んでいた。あれだけの光はすでに存在せず、窓から射し込む昼の日差しだけが教会内を照らしている。高耶が羽ばたいたときに散ったはずの羽根も、残らず消えていた。
あれは夢だったのだろうか。
だが、直江の身体にはあのときのぬくもりがまだ残っている。
もしかしたら、神が見せてくれた奇跡だったのかもしれない。
そっと額に触れてみる。
天使がくれた祝福。
イヴに貰った、最高のクリスマスプレゼント。

『またな』

高耶の声が耳元で蘇る。
また、会えるのだろうか。
いや、会えるに決まっている。
天使がウソをつくわけがないのだから。
直江は微笑んで、高耶が帰っていった空に向かって呟く。

「待ってますからね、高耶さん」

そしてもう一度、この瞳に奇跡を見せて――――。
澄み渡ったクリスマスイブの空に、直江は想いを込めて願ったのだった。





[終]

紅雫 著
(2000.12.18)


[あとがき]
だいぶ前に、まいこ様のHP「プーティ ウィッ?」の3333カウントゲットで頂いた、天使イラストのイメージノベルです。クリスマス仕様なのですが、いかがでしょうか?
なんだか牧師直江が妙にいい人っぽくて果てしなく胡散臭いですが、高耶さんの可愛さに免じて許してやってください(笑)。
ちなみに大きい高耶さんは「本当の姿はコレなんだけど、地上では力が足りないからミニマムなのよ」というどこかの漫画みたいなシステムなのだと思っていただければありがたいです(爆)。

【改訂】(2003.10.20)
まいこ様から頂いたイラストはご返却いたしました。小説のみお楽しみください。


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