店主の休日






 一月某日。
 ひときわ冷え込むその早朝に、いたち茶屋ののれんをくぐる男の姿があった。まだ開店前だったが、男が引くと扉はカラカラと軽い音を立てて開いた。

「おっせぇぞ、直江」

 直江の顔が見えた途端、さっそく千秋が文句を言った。だが直江はそれに反論する前に、千秋の格好に眉を顰めた。

「なんだ、その格好は」
「見てわかんねぇのかよ」
「分からんから聞いている」
「バカだねぇ、旦那は。着流しに前掛けっていやぁ、決まってんだろうが。お茶屋のウェイターに」
「…………………ウェイター?」
「ギャルソンでもいいけどな」

 濃紺に縦縞模様の浴衣を着て、「いたち茶屋」の文字が入った白い前掛けをした千秋は、確かに和風喫茶店の店員に見えるが、それを「ウェイター」とか「ギャルソン」とか呼んでいいものなのか直江は悩んだ。
 そこへ、色違いの浴衣を着た綾子が現れた。こちらはいつものいたち茶屋看板娘姿である。

「あー、直江。やっと来たの?遅いわよ、もう材料の搬入終わっちゃったじゃない」
「ちょっと待て、これは一体どういうことだ」
「どういうって、あんた何にも聞いてないの?」
「全然聞いてない」

 直江の即答を聞くと、綾子は恐ろしい顔になってぐるりと千秋を振り返った。

「ちょっと長秀、直江に連絡したのはあんたよね。どういうこと?」
「どういうも何も、俺は直江を呼べって言われたから呼んだだけだぜ」
「なんでその理由を説明してないの!」
「めんどくせぇ。そーゆーのは大将の役目だろうが」
「景虎は忙しいから、あんたに連絡頼んだんでしょうが!」
「………そうだったか?」
「バカ!」

 場所も現状もわきまえず、いつも通りの口論を始めた二人を見て、直江はこれ以上説明を求めることを諦めた。そこへ、表の騒ぎを聞きつけた高耶が奥から姿を現わした。

「なにやってんだよ、おまえら」
「高耶さん」
「直江、来たんならぼーっとしてないでさっさと着替えて手伝え」

 そう言う高耶は、既に千秋と同じ浴衣にエプロンを締めている。こういう格好も良く似合う、と直江は思いつつも真面目くさった顔で言った。

「手伝えといわれましても、いったいなぜ皆してここに集まっているんですか。だいたいここの店主はどうしたんです?」
「なんだと?何も聞いてないのか?」

 先ほどの綾子と同じことを、眉を跳ね上げながら言う高耶に、直江はため息をついて千秋を見やった。

「全然まったく何も聞いてません。それを尋ねたら長秀と綾子があの状態になってしまったので、高耶さんに聞いたんです」
「役にたたねぇやつだな、まったく」

 直江の言葉で経緯のすべてを察した高耶は、いまだ綾子と罵り合っている千秋を横目で睨んだ。それからひとつため息をつくと、「手っ取り早く言うとだな」と説明を始めた。

「今日はいたち茶屋開店2周年目なんだ。去年はお客様に感謝のお祝いだったけど、今年は自分たちによく頑張ったお祝いってことで、2人して箱根に1泊2日慰安温泉旅行に行ってる。だけどお客様にも感謝しなきゃってことで、オレ達がかわりに"1日店主"することになったんだ」
「なるほど。それで長秀やあなたまでそんな格好をしてるんですね」

 ようやく合点がいって、直江が頷きながら視線を流すと、ちょうどこちらを向いた千秋がニヤリと片頬を歪めてみせた。

「ま、俺様ほど似合っちゃうと、看板娘ならぬ看板息子になっちゃうけどな」
「……バカ?」

 寸前までケンカをしていた千秋の変わり身の早さに、綾子が呆れかえる。

「それにしても、よく引き受けましたね、高耶さん」

 人見知りが激しく、慣れないことには極力手を出さない高耶だから、「めんどくさい」とか「どうしてオレが」とか、文句のひとつやふたつ引き受ける前に出そうなものだが。
 案の定そういう文句を言った覚えがあるのか、高耶はバツの悪い顔をして唇を尖らせた。

「しょうがねぇだろ。あいつら養父上も一緒に行くからキャンセルできないとか言うし」
「…………謙信公と、ですか?」
「そう。なんでも正月に年賀状でお世話になったお礼とか言ってた。昼は北条とかオレが関係するところを3人(?)で巡って、夜は北条の父上も呼んで宴会なんだって」
「それはまた………すごいですね」

 なにがすごいって、上杉謙信と北条氏康の2人と一緒に宴会しようとする店主の度胸がすごい。

「『旅行の予定を変えるわけに行かないし、かといって記念日に店を休みにするわけには行かないから』なんて言われたら、オレが断われるわけ無いだろ?」
「そうですねぇ」
「そうなんだよ。だからおまえも協力しろ」
「わかりました」
「それじゃあ、さっそくコレ着てちょーだい!」

 高耶の命令に苦笑しつつ頷くと、横でタイミングを図っていたのか、すかさず綾子が浴衣とエプロンを突き出した。どうやら高耶や千秋と同じ物のようである。

「ちょっと待て、サイズは……」
「大丈夫よ。この日のために、店主があんたのサイズで用意したから。もちろん景虎と長秀もオーダーメイドよ」
「つんつるてんだったらファンの皆様が嘆くだろうが」

 千秋の言い方から察するに、本日のいたち茶屋のメインメニューは、夜叉衆によるファンサービスのようだった。

「色部さんとオレは厨房係、直江と千秋は配膳係だ。姉さん、2人のことよろしく指導してやってくれ」

 高耶が目を向けると、綾子は頼もしいガッツポーズを作る。

「まっかせといて!メニューの渡し方からレジのやり方まで叩き込んでやるから!」
「…………お手柔らかに頼む」
「いいこと、あんたたち。1円でも間違ったりしたら、店主は今日の給料から遠慮なく差っ引くからね」
「横暴だ!」

 喚く千秋を綾子に任せて、厨房へと暖簾をくぐる高耶の後にくっついて行きながら、直江はこっそり囁いた。

「あなたの姿を見たいファンも大勢いらっしゃるんじゃないですか?」
「オレ以外、誰が料理できるんだよ」
「まあ、それはそうですが」
「大体オレ、ウェイターなんて柄じゃねぇし」
「あなたのその姿だけで喜ぶと思いますけどねぇ」

 そういう直江自身、浴衣姿の高耶に嬉しげだ。高耶は呆れたため息をつくと、直江の肩をひとつはたいた。

「おら、さっさと準備して姉さんにしごかれて来い。やるなら完璧にこなせよ、おまえ」
「やれやれ、大変そうですねぇ」

 ちっとも大変そうじゃない口調だが、高耶は少し同情してくれたらしい。

「……………全部が終わって、材料が余ってたら、なんか作ってやるからさ」

 励ますように笑う高耶に、直江もまた微笑み返すのだった。



 こうして「いたち茶屋2周年記念 夜叉衆ファンサービスデー」の一日は始まった。この日、いたち茶屋は開店以来最高の繁盛を記録し、疲れきって沈没した夜叉衆とからっぽの冷蔵庫を残して暖簾を下ろしたという。





[終]

紅雫 著
(2002.02.05)


[あとがき]
…………なーんてことが起こったらいいのになぁ…。(←願望小説?)
にしても、本当に内容の無いお話でした。こんなものに何週間もかけた自分が恨めしい(苦)。
何はともあれ、遅くなりましたが、2周年ありがとうございました。3周年目もよろしくお願いいたします♪


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