A Happy Day






直江信綱という男は、とにかく女受けがいい。
なにしろ日本人の平均身長をはるかに上回る長身、それに見合った立派な体躯、そしてその上にのっている俳優ばりの顔――――。
女好み、というものを凝縮して出来上がった見かけである。
その上さらに、落ち着いた大人の物腰で、誠実で優しく、頭も良い。
口を開けば、低く澄んだ声が丁寧に出てくる。
どこを取っても完璧な男であった。


高耶は会社のロビーの端にあるソファに腰掛け、遠くで女と喋っている直江を見ながら、ぼんやりとそんなことを思っていた。

今日は久しぶりに直江と会う約束をしていた。
直江の仕事が少し遅くなりそうなので、夜7時の待ち合わせだったのが、高耶は5時には直江の勤める会社のロビーに来ていた。
本当はもっと早く東京には着いていたのだが、さすがにここに来るのはためらったのだ。
それでも慣れない東京ではそれほど時間も潰せず、早々と直江の会社まで来てしまった。

(どうせあの男のことだから、7時待ち合わせっていったって6時には会社をあがるだろう)
と思ったからである。

そして今はちょうど6時。
高耶の予想通り、直江は仕事を終わらせたらしく、ロビーまで降りてきていた。
だがそこで知り合いらしい女に捕まり、長々と喋っている。


(いつまでくっちゃべってんだよ)

高耶は少しイライラとしながら足を組み替えた。
実際は直江が降りてきてから、まだ5分ほどしか経っていないのだが。

遠目からでも直江が営業スマイルをしているのが分かる。
そんな時の直江が、高耶は少し嫌いだった。
まるで自分の知らない一面を、他の人間に見せているようだったから。


(あっ!)

高耶の眉がぴくっと跳ね上がった。
女が直江の腕に手をかけたのである。

(触るんじゃねぇ、それはオレのだ!)

と思っても、決して口に出したことはない。そんなことを言えば、あの男を付け上がらせるだけだからである。
だが険しい顔をして直江を睨みつける。

それに気づいたわけでもないだろうが、直江は何かやんわりと言って、女の手をそっとはずした。
そんなところも全くそつがない。
それも慣れているようで、高耶の癇に障る。
だいたいあの男、いつになったら自分に気づくのだ。

(直江のくそバカ…っ)

と強く想った途端、直江がはっとしたような顔になる。

(しまった…)

高耶は慌てて顔を逸らした。
どうやら苛つくあまり、思念波を出してしまったらしい。

(これはバレたな…)

高耶の予想通り、直江がこちらに注意を向けたのが分かった。

(遅いんだよ)

ほとんど隠れていたくせに、高耶は心の中で毒づく。
直江が近づいてくる気配がした。



(まったく、どうしたものか…)

直江はにこやかに話しながら、内心溜息をついた。
目の前では知り合いの女性が、どうでもいいことを楽しそうに延々と喋っている。

(せっかく早く仕事を終わらせて、高耶さんに会いに行こうと思っていたのに…)

だが仕事上、むげに扱うわけにもいかない。
仕方なく適当に相づちを打ってはいるが、そろそろ切り上げないと…。

そう思ったとき、突然女性が直江の腕に手をかけてきた。
ぴくり、と直江の眉が動く。
女の口唇から、誘いの言葉が出る。

「橘さん、もう仕事上がりなんでしょう?私もなの。一緒に食事しません?」

期待と自信に満ちた瞳が直江を見つめている。
女は直江の食指が働くほど、充分に美しかった。頭もいいし、話していてそれほど疲れることもない。
かつての自分なら、間違いなくこの誘いに乗っただろう。

だが今は、そんなことはどうでも良かった。
自分はこの世の誰よりも美しい人を手に入れたのだから。
そして今日も、その人をこの手で抱きしめられるのだ。
もう代用品は必要なかった。

直江はにっこりと笑うと、女性の手を外しながらやんわりと告げた。

「申し訳ありませんが、これから人と会う約束をしているのです。それにあなたも、私などと食事をしても面白くないでしょう」

言外に、今後も誘いに乗るつもりのないことを含ませる。
女は意外そうな顔をして、今度は悪戯っぽく笑った。

「その約束をしている人って、もしかして彼女でしょう?」
「さあ?どうでしょう」

今度ははぐらかして笑う。
だが女は確信したように言った。

「あなたに彼女がいるってこと知ったら、きっと女性社員のほとんどが泣くでしょうね」
「そんなことは…」

その時、直江は感じ慣れた思念波をキャッチした。
どこか苛立っているような、拗ねているような――――。

(高耶さん?)

驚いてあたりを見回す。
だがすぐには見当たらず、気のせいかと思い直そうとした。

「橘さん?」

女の訝しげな声に、はっとする。

「いえ、なんでも…」

女の方を振り向こうとしたとき、ロビーの奥にいる高耶の姿が目に飛び込んできた。
ようやく見つけた愛しい人は、そっぽを向いて足を組んでいる。
いつからいたのか知らないが、きっと今の女性の行動も見ていたのだろう。嫉妬して思わず思念波を放ってしまったようだ。
それに直江が気づいたので、慌てて顔を逸らしたのだろう。
まるで子供のように可愛い行動する。

直江は口元が綻びそうになるのを少し堪え、女性に向き直った。

「それでは、そろそろ失礼します」

軽く会釈し、高耶の方に向き直ったらもう後は振り返らない。
まっすぐ高耶の方へと歩み寄っていった。



足音が近づいてくる。
だが高耶は顔を逸らしたまま、直江の方を向こうとしなかった。
ぴたり、と高耶の目の前で足音が止まる。

そしてあの声――――。

「高耶さん」

高耶は返事をしない。

「お待たせしてすみませんでした。いつからここにいらしてたんですか?」

高耶はそっぽを向いたままどこか拗ねたような声で呟いた。

「…5時頃」
「そんなに早くからずっと待ってたんですか?何かあったんですか」
「別に…暇だったから」

(おまえに会いたかったから)

なんて死んでも言うものか。
高耶には妙な意地があった。
だが直江にはそんなことも分かってしまっているようだった。

「連絡をくだされば、もっと早く仕事を切り上げたんですが…」

本当にすみませんでした、と言って、いつものように穏やかに笑う。

「……」

怒っているわけではないのだが、高耶はまだ直江の顔を見ようとしない。ようするに照れくさいのだ。
素直じゃないのである。

(可愛い人だ…)

直江はそんな高耶の心情が手に取るように分かった。


「とりあえず、夕飯を食べにいきませんか?待たせたお詫びに、高耶さんの好きな物を食べましょう」
「…そんなのいつものことじゃねぇか」

高耶は直江の顔を見ようとしないまま立ち上がった。

「そうですね。それじゃあ何か欲しいものを買いましょうか」
「ガキじゃねぇぞ」

たわいのない会話をしながら外に出る。

外に出た途端、冷たい風がまともに吹きつけてきた。

「さむ…っ」
「大丈夫ですか?」

ふわり、と暖かいものが高耶の肩かけられた。
それが直江のコートだと気づいて、高耶はようやく直江の顔を仰ぎ見た。
そこではいつものように、優しい笑顔が高耶を見つめている。

「やっとこちらを向いてくれましたね、高耶さん」

その言葉にはっとしてまた顔を逸らそうとするのを、手で押さえて耳元で囁く。

「一週間ぶりなんですから、もっと良く見せて下さい。あなたの顔を」

どうしてこういうところで、そういうことを言うのか。
高耶はその手を振り切って、思い切り顔を逸らすと乱暴に言い放った。

「馬鹿なこと言ってないで、さっさと車取って来いよ」

だがその頬がうっすらと赤く染まっていることに直江は気づいて、小さく笑って言った。

「すぐに取って来ます」

結局、高耶の心理などお見通しの直江であった。






高耶はぼんやりと天上を見上げ、情事の後の気だるい余韻に浸っていた。
ようやく汗のひいた身体に、乾いたシーツの感触が心地よい。
ふと視線を横に移動させると、直江の逞しい腕が見える。その上にはしっかり筋肉のついた肩。
決して小さくはない高耶の身体を、片手で支えられる力強い腕だ。

(いいなぁ…)

高耶はゆっくりと手を伸ばすと、直江の腕に触った。

「高耶さん?」

驚いた直江が声をかけてくるが、高耶はどこかぼんやりとした表情のまま、手を滑らせて直江の筋肉をなぞっていく。
こういった時の高耶には何を言っても無駄だと分かっている直江は、高耶の好きなようにさせた。

高耶はしばらく腕を触っていたが、そのうちだんだんと下に降りて、今度は手を弄び始める。
大きな手だ。自分よりひとまわりも大きい。
節ばった長い指は、いつも優しく自分に触れてきた。
こんなに大きな手なのに、実に繊細な動きをする。それが不思議で、高耶は手を開かせたり、指を曲げたり伸ばしたりしてみた。

それを直江はしばらく眺めていたが、そのうちそっと高耶の手を外させ、その身を腕の中に抱き込んだ。

「一体どうしたんですか?」

高耶は腕の中で、大人しく直江の胸に顔を伏せた。
自分をすっぽり包める大きな身体。
同じ男として、いつも高耶は羨んでいた。
こうやって包み込まれるのは気持ちがいいが、男として情けなくもある。
いつもいつも直江に主導権を取られてしまうのは、きっと体格で負けているからだ。

暖かい直江の腕の中で、高耶はうとうととまどろみ始めながら、そんなことを考えていた。

(でもオレまだ成長期だし…)

まだまだ頑張れば背は伸びるだろう。
果たして10cmの差を縮められるかは謎だが。

(でも、絶対…)

「…絶対、直江より大きくなってやる――…」
「え?」

突然呟かれた言葉に、直江は驚いて腕の中の高耶の顔を見下ろした。
だが高耶はすでに安らかな寝息を立てている。
直江は苦笑していったん高耶の身体を離し、シーツをかけ直してからもう一度高耶を抱きしめた。

なんだか今日の高耶は、ずいぶんと可愛いことをする。
そんなことを思いながら、優しく髪を梳いてやると、高耶は頭を手に押し付けてきた。
そんな仕草も愛しくて、直江は高耶の頬に、額にくちづける。

それにしても、先ほどの言葉はどういう意味だろう。

――――絶対に直江より大きくなってやる。

直江は苦笑すると一人ごちた。

「これ以上大きくなってもらっては、私が困るんですけどねぇ…」

直江にとっては今のままで充分なのであった。
だが高耶には聞こえない。
直江は安らかな寝息を壊さぬよう、もう一度だけそっとくちづけると、愛しい身体を抱きしめて、自分も眠りの淵へと落ちたのだった。





[終]

紅雫 著
(2000.02.05)


[あとがき]
600カウントゲッターしんえのリクエスト「かっこいい直江にぞっこんの高耶さんと、それにメロメロな直江」というコンセプトで書いてみました。
しかしこれ、本当に直江がカッコイイんだろうか。余裕シャクシャクでノロケてるだけのような気もする(爆)。
とんだ駄文ですが、相棒しんえに捧げさせていただきます。


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