このまま手をつないで






夏を間近に控えた、雨の季節。

――――遠くに行きたい。

ぼんやりと雨を眺めていた高耶の唐突なこの言葉で、週末は一泊二日の小旅行になった。





馴染みの温泉宿についたのは、まだ日の高い時刻だった。とはいえ今にも雨が降り出しそうで、空はどんよりと暗い。
だが高耶は気にせず散歩に出かけた。当然直江もついて行く。
二人はどこか寂れた感のある街並を黙って歩いた。だが嫌な沈黙ではなく、心地よい静寂である。それを破ることを気にしつつも、直江は隣を歩く高耶に話しかけた。

「どうしたんですか?」
「なにが?」

驚いたように顔を上げる高耶に、心持ち真剣に尋ねる。

「急に旅行に行きたいと言うから、何かあったのかと思って」
「………別になにもない」
「そうですか」

高耶は一瞬の驚いた表情から、ゆっくりと苦笑のような笑顔になる。高耶の表情からは何も読み取れない。別に落ち込んでいる様子もないし、特に理由があるわけでもないのかもしれない。
ただなんとなく気になって、直江は高耶の横顔を見つめた。
またしばらく黙って歩いていると、高耶がふと横道にそれた。その先には小さな神社があった。夕方だからか、雨が降りそうだからか。人の気配のないそこは、一足早く夕暮れが訪れたような薄暗さだった。
小さな祠の前で手を合わせる。しばらくしてから、高耶がゆっくりと振り向いた。

「………怒ってるか?」
「何をです?」

今度は直江が驚いた。
何を怒っているというのだろう。自分はそんな態度を取っていただろうか?
高耶は直江の目を真っ直ぐに見て言う。

「急に、こんな旅行に連れ出して」
「別に怒ってなんかいませんよ。こうして旅行をするのも久しぶりですし、最近は忙しくてあなたとゆっくり話す暇もなかったから」

――――嬉しいですよ。

誠意を込めて高耶の瞳に語りかける。
どうして高耶がこんなことを言い出したのかは分からないが、どうやら高耶は不安に思っているらしい。ならばそれを取り除かねばならない。そんなことを思う必要はないのだと。
直江の優しい微笑みに、高耶はほっとしたように息を吐く。そしてゆっくりと視線を巡らせて、小さな声で呟いた。

「最近おまえ、仕事が忙しかっただろう?あんまり一緒にいられなかったから。だから、仕事がないところに行きたくて………」

思いがけない高耶の告白に、直江は目を見開いた。そのまま下を向いてしまった高耶を正面から抱きしめる。

「すみませんでした。寂しい想いをさせてしまいましたね」
「…………」

いつもなら恥ずかしがって嫌がる高耶も、今日は大人しく腕の中に納まっている。直江は背中に回した腕に力を込めた。
寂しがり屋の癖に素直じゃなくて、強がって平気な振りをする愛しい人。こんな風に、言葉に出してくれたのは久しぶりだ。
弱さを見せることにどこまでも臆病な人だから、いつもはこちらから踏み込んで、何を思っているのか探り取らなければならない。それは嫌なことではないけれど、ずいぶんと手間のかかる作業だ。
こんなに素直なのは、それだけ寂しかったからだろう。それを申し訳なく思うのと同時に、喜びを隠しきれない自分がいた。
ゆっくりと顔を上げた高耶を直江の影が覆う。まわりの風景に溶け込むように重なり、柔らかく優しいくちづけを繰り返した。

「………こんなところで、罰当たりだな」

ふっと唇が離れたとき、高耶がくすりと笑いを漏らした。そういえば、ここは神社だった。

「そうですね。こんなところであなたを独り占めしたら、神に嫉妬されるかもしれない」

――――あなたは神の愛み子だから。

冗談めかして言ったが、本心である。
誰よりも神に愛されているあなたを、この地上で独占する。天にもやらず、地にも落とさず。この腕に永遠に閉じ込めよう。







先ほどよりさらに暗くなった道を、ゆっくりと戻って行く。そろそろ雨が降り出しそうだ。

(それまでに帰れるといいが……)

突然手に暖かい体温を感じて、直江は驚いて振り返った。すぐに高耶の拗ねたような照れたような、まっすぐな瞳とぶつかる。

「………たまにはいいだろう?」

その手はしっかりと直江の手を握っていた。幼い子供のように大きな直江の手を握り締める高耶に、思わず笑みが零れる。

「ええ。でもいつでもいいんですよ?」
「馬鹿。そんな恥ずかしいことできるか」

思った通りの返答に、微笑みはさらに深くなる。
やはり照れるのか、直江の手を握り締めてずんずん歩いていく高耶に、直江は歩調を合わせて歩き出した。

「今日のあなたはサービスいっぱいですね」
「仕事がんばってたからな」
「ご褒美ですか?」
「………嘘。オレがしたかっただけ」

信じられないような嬉しいセリフを言って、高耶は今度こそ真赤な顔で振り返った。

「だから、これ一度っきりだからな!」

直江は今日何度目か分からないほど呆然となると、思いきり繋いだ手を引き寄せて、細い身体を抱きすくめた。

「こら!こんなところで……」
「あなたがあんまり可愛いことを言うからです」

無自覚に自分を煽りまくった愛しい恋人は、さすがに公道では恥ずかしいのか腕の中でもがいている。直江は「離さない」というように強く抱き直すと、繋いだ手を高耶の目の前に持ってきた。

「一度きりなんて言わないで。せっかくこうして繋いだんだから、ずっと繋いでいましょう。夜が来て、朝になって、明日になっても。何があろうとも、私はこの手を離さないから」

繋いだ高耶の手の甲に、誓いの口づけを。
愛しさに溢れた鳶色の瞳を、高耶は食い入るように見つめた。

「直江………」

そのとき、その先を遮るように、高耶の鼻の頭に冷たい水滴が降ってきた。

「わっ。雨?」

驚いて見上げると、ぱらぱらと零れてきた水滴は、あっというまに大粒になって、地面で跳ねばちばちと凄い音を立て始める。
とうとう降り出したどしゃぶりの雨に、それまでのムードも何も投げ出して、二人は慌てて宿に向って走った。思いついたように、直江が上着を脱いで高耶の頭に被せる。

「いいよ、おまえが濡れるだろ!」
「いいから被ってなさい」

慌てて返そうとする高耶を制して、もう一度しっかりと頭から被らせると、直江は高耶の手を掴んで走り出した。
先程とは逆に掴まれた手。高耶は一歩前を走る直江の背中を見つめた。いつもいつも、自分を包み込むようにして守ってきた背中。
冷たい雨にさらされているはずなのに、手の平の熱が全身に回って暖かいくらいだ。何が嬉しいのか分からない。けれど頬が緩むのを止められない。高耶は直江に気づかれないように、こっそりと微笑んだ。
誰も知らない、誰よりも幸せな時間を駆けて――――。









大粒の雨は身体中をくまなく打って、宿に着いた時には二人ともかなり濡れてしまっていた。
離れの二人の部屋に直行した直江は、バスタオルで高耶の身体を包み込んだ。まず頭から、とごしごし自分を拭き始めた直江に、高耶は制止の声を上げる。

「いい、自分でやる。だいたいおまえの方が濡れちまってるじゃねぇか」
「私は丈夫だからいいんです。ほら、腕を出して」

嫌がる身体から濡れてはりついたシャツを脱がせ、冷たくごわごわになったジーパンも下ろした。終いには高耶も抵抗をするのが面倒くさくなって、疲れた身体を直江に預けた。
直江は高耶の身体を、冷え切ったつま先まで丁寧に拭いていく。屈み込んだ直江の頭からぽたぽたと水滴が落ちるのを見て、高耶は軽く溜息をついた。手元にあったもう一枚のタオルを手に取り、直江の頭を拭いてやる。

「直江、ほら……」

促されて、直江はゆっくりと顔を上げた。
いつもは軽くなでつけられている髪が、雨ですっかり落ちて秀でた額にはりついている。それを優しく指でかきあげて、顔を拭ってやりながら、高耶はもう一度溜息をついた。

「オレはおまえの上着被ってたからそんなに濡れてないんだよ。おまえの方がびしょ濡れじゃねえか。こんなに冷え切って……」

仕方ないやつだな、と呟く。心配そうな瞳をしている。
自分の頬を包み込んでいた高耶の両手を優しく掴んで、直江は嬉しそうに微笑んだ。

「心配してくれてありがとうございます」

そのまま伸び上がるようにして、高耶の薄く開いた唇にくちづける。何度も啄ばむようにして、最後にゆっくりと深く重ねた。
直江の腕が高耶の腰を引き寄せる。高耶は直江の頬に置いていた手を、首の後ろに回して頭を抱き寄せた。
冷えた身体を熱い想いで暖めるように、強く抱き合って唇を合わせる。

「直江、寒い……」
「すぐに熱くなるから……」

窓の外では雨の音。
だがそれも、衣擦れの音と熱い吐息の中で聞こえなくなっていった。















サ―――……

静寂が戻った深夜の部屋に、微かな物音が届く。それが雨の音だと気づくのに、少し時間がかかった。

「………雨の音がする……」

掠れた声に気づいて、直江が口移しで水を飲ませた。零れた雫を指で拭いながら、優しく囁く。

「明日まで止みそうもないですね。この時期だから仕方ありませんが」

柔らかく髪を梳かれて、高耶は気持ち良さそうに瞳を閉じた。

「不思議だな。外にいた時は雨の音がうるさいくらいだったのに、中で聞くと優しく聞こえる」
「そうですね……」

隣に滑り込んで来た直江の胸に、幼子のように頬を寄せて、高耶は規則正しい鼓動を聞いていた。
右耳で直江の鼓動。
左耳で雨の音。
高耶は左手の指を直江の手に絡めた。

「どうしたの?」
「雨は嫌いだ……」

雨の日は、あまりいい思い出がない。いつも独りで必死に寒さを堪えていたように思える。だからすぐ側にあるこの温もりが、こんなに愛しいのかもしれない。

「………このまま…手…つないでて……」

半分眠りかけた小さな呟きに、直江は微笑んだ。

「ずっとつないでいますよ。夜が明けて、朝が来ても……」

昼間聞いた誓いを今また子守歌のように聞きながら、高耶は緩やかに眠りに落ちてゆく。
手の平から、暖かな心が伝わってくる。
寂しい子供も、きっと今夜は優しい夢が見られるだろう。




このまま手をつないで眠ろう
優しい雨の音に包まれて





[終]

紅雫 著
(2000.07.16)


[あとがき]
注:直高が部屋に戻っていちゃいちゃしたあとの間。ここでは一回(?)したあと、ちゃんとお風呂に入って夕飯を食べてます。雨の音のシーンは、仲居さんが布団を引いてくれたあと、もう一度ヤっているのです。ずっと夜中までヤり続けたわけじゃありませんので、勘違いなさらないように(笑)。

10000カウントゲッター果菜様のリクエストで「雨の日の直高」です。
梅雨ギリギリのUP(汗)。ちょっと焦りました。
なにやら書いてて自分が恥かしくなるくらいイチャイチャしまくってる二人ですが、たまにはこんなのもいいですよね?だってキンキの歌なんだもん(笑)。
駄文ですが、果菜様に捧げさせていただきます。10000HIT、本当にありがとうございました♪


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