Happy Anniversary


【1】





待っていて

必ず迎えに行くから

待っていて――――





 いつもと同じ、だけどいつもとちょっと違う朝。
 むくりとベッドから起き上がって、高耶は不機嫌そうに呟いた。

「またか……」

 夢を見た。
 毎年誕生日になると、必ず見る夢。
 優しい声が、冷えた心を癒すように語りかけてくる。
 男なのか女なのかすらわからないその不思議な声は、高耶が施設に入った年から10年間ずっと、誕生日の夜に夢で囁く。
 子供の頃は、きっと自分をここから連れ出してくれる人の声なのだと信じて待っていた。だがそれも3年が過ぎて疑惑に変わり、5年が過ぎたときには苛立ちと共にその可能性を排除し、10年経った今では単なる自分の妄想だと片付けていた。
 それにもう、誰かに連れ出してもらう必要はないのだ。自分は今日、ここを出て行くのだから。

 高耶が6歳のとき、両親は交通事故で他界した。残された高耶に手を差し伸べる親類はおらず、児童保護の施設へ預けられることになる。
 2回ほど養子縁組の機会があったが、高耶自身が嫌がったのと、相手が別の子供を選んだのとで、結局制限年齢ぎりぎりまで高耶は施設で育った。
 この先進学するか就職するかは自分の判断に任せられるが、先立つ物もないのに進学できるはずもなく、必然的に高耶は就職の道を選んだ。幸い高耶は、愛想はないものの頭もよく手先も器用だったため、中学卒業の春には、小さいながらも繁盛しているレストランへの就職が決まっていた。今までは施設から通っていたが、今日からはアパートを借りて完全に自立することになる。
 だからその朝、本当ならば高耶は、すでにまとめてあった荷物を持って出て行くはずだったのだ。
 はずだったのだが――――。

 荷物を持って立ち上がったその時、高耶の部屋のドアがノックされた。施設で一人部屋などあるはずもなく、当然高耶の部屋も4人部屋だったのだが、平日の今日は高耶以外皆学校に行っている。
 だから慌てた様子で入ってきた女性職員は、高耶に用があるのだろう。

「どうしたんですか、先生?今ご挨拶にいくところだったんですが…」

 訝しげに高耶が尋ねると、50代のその職員は困惑しきって高耶に言った。

「それがね、高耶君。あなたを迎えに来たって仰る方がいるのよ」
「迎え?職場の人ですか?」
「私も最初そうだと思ったのだけど、どうも違うみたいで……」

 高耶も困惑して眉をひそめる。自分を迎えに来る人間なんて、心当たりがまったくない。

(あの夢――――?)

 ふと脳裏に浮かんだ考えに、だが高耶は内心首を振る。あんなものはただの子供の妄想だ。現実に起こるはずがない。
 では一体誰だろう?
 堂々巡りになりかけた高耶の思考を、職員の声が断ち切った。

「とにかく、応接室でお待たせしているから、会ってみてちょうだい」
「はい…」

 高耶はしぶしぶ頷くと、小走りに歩く職員の後ろをゆったりとついていった。





 観葉植物が一つ置かれている以外飾り気のない殺風景な応接室に、場違いな男がいた。立ったら天井に頭がぶつかるんじゃないかってほどでかい身体に、俳優みたいに整った顔。びしっとスーツを着こなして、いかにもやり手のビジネスマンといった風情だ。
その男は、職員の後について入ってくる高耶の姿を認めると、すっと優雅な動作で立ち上がった。

「仰木高耶さんですね。はじめまして、私は直江信綱と申します」

 浮かべた笑顔もその声音も、先ほどまでの冷たい雰囲気とは一変して優しく、高耶は一瞬呆然と立ち尽くした。

(こいつ――――)

 初めて見る顔だ。声だって、初めて聞く。なのに、なぜか高耶は夢の中の人物を思い浮かべた。

(夢に出てきたのって、こいつ……?)

 迎えに来ると繰り返し囁く、優しい声。
 信じてなかったし、期待なんてしてなかった。
 だけど確かにあの夢の中では、高耶は幸せだった。
 だから余計に迎えの来ない現実が辛くて、早くここから出て行きたかった。ここを出ればきっと、もうあんな夢は見ないで済むと思ったから。
 そのために必死で勉強したし、一人で生きていくための技術も身に付けた。就職先だって見つかって、ようやくあの夢ともお別れだと思っていたのに。

(なんで今頃になって、迎えになんか来るんだろう)

 そんな思いが顔に出ていたのか、直江と名乗った男は

「突然今頃になって、と思われておいででしょうが」

と前置きしてから、驚くべき事実を語り始めた。





***





「………広いな…」

 ソファに座った高耶は、ぼんやりと部屋を見回してぽつりと呟いた。
 そこは、とても広い部屋だった。4人で使っていた施設の部屋を3つ足したより、まだ広い。そこには、高耶には見当もつかないが、とてつもなく高級そうな家具が置いてある。

「しばらくこちらでお待ちください」

 そう直江は言って高耶を置いて出て行ってしまい、高耶は独りここに取り残された。
 どうすればいいのか分からなくて、とりあえず座ってみたものの、すぐに心細くなってきた。

(何でオレ、こんなとこにいるんだろう)

 本当なら今頃は、新しい生活を始めるアパートで、引越しの荷物を片付けているはずだったのだ。それはきっと、大変だけど楽しく希望に満ちた仕事だったろう。
 けれど、数分前会った老人が、自分の人生を大きく変えてしまったのだ。



 施設で直江は、

「あなたの母方の御祖父様が、あなたにお会いしたいと仰っています」

と言った。
高耶は驚きに目を瞠った。
事故で両親が死んだとき、葬儀をしてくれたのは近所の人だった。父方の遠い親戚の人が2,3人来ていたらしいが、自分を引き取ってくれるほど近しい人はいなかった。ましてや祖父なんて、父にも母にも聞いたことがなかった。

「おじいさんなんて…、オレ知りません」
「お母様はきっとお話になられなかったんでしょうね」

 高耶の母は、数々の事業を運営し財界でも有名な上杉興業の会長上杉謙信の一人娘だった。だが高耶の父との結婚を反対され、勘当同然で家を飛び出したのだという。

「あなたのことも、会長は全てをご存知です。ですが、ご両親が事故で亡くなられた時も、あなたが施設に入ることが決まったときも、いまさら自分のところへ呼び戻すよりは新しい家族が出来るほうがよいとのお考えでした」
「じゃあ、なんで今頃……」
「理由は2つあります。1つは施設を出る年まであなたに家族が出来なかったこと」

 母が嫌で飛び出した家にその息子を連れ戻すことはできないと思い、今まで見て見ぬ振りをしてきたが、高校すら通えず社会に出なければならないというのはあまりにも不幸だ。もし家に来るのが嫌なら金銭援助だけでもいいから、せめて大学卒業までは面倒をみたいと思っている、と直江は告げた。

「そしてもう1つは、会長自身がご病気だからです」
「病気?」
「会長は何も仰いませんが……。恐らく、もう長くはないと思われたのでしょう。一目でいいから、娘の忘れ形見に会ってみたいと願っておられます。どうか、私と一緒に来ていただけませんか」

 ひたすら困惑している高耶に、直江は優しく懇願した。
 突拍子もない話だ、と高耶は思った。こんな物語みたいなこと、あるわけがないと。だけど直江の穏やかな鳶色の瞳は、誠実な光が浮かんでいて、とても嘘をついているようには見えない。
 高耶には「そんなこと関係ない」と突っぱねることも出来た。「いまさらそんなことを言われても困る」と言えばよかった。
 けれど、直江の優しい微笑みを見つめているうちに、まるで魔法にかかったように高耶はこくりと頷いていたのだった。

 その後、高耶は上杉謙信の自宅へ連れて行かれた。そこはまるで旅館かホテルの間違いじゃないかと思うほど大きな屋敷だった。

(ワイドショーで見た芸能人の一億円豪邸よりでかい…)

 高耶は呆然と辺りを見回しながら、直江の背中についていく。やがて辿り着いた扉の奥に、高耶の祖父だというその老人はいた。
 引き締まった厳しい顔つきは、大企業の経営者としての苦労を物語っている。だが自分を見つめる瞳の奥の優しい光は、そう思ってみるからか、どことなく母に似ている気がした。

「会長、こちらが仰木高耶さんです」

 直江が背を押すようにして、車椅子に座る老人の正面に高耶を立たせた。老人は無言のまま頷き、高耶をじっと見つめた。
 高耶は何も言えず、その視線に晒された。やがてその緊張に耐え切れず、もじもじと動こうとすると、老人は静かに口を開いた。

「……母は、幸せだったか?」

 問いかけは真摯で、高耶ははっと老人を見つめた。
 はっきり言って、両親が生きていた頃のことなど、そう多くは覚えていない。自分は幼かったし、その後ひとりで生きていかなければならず、その苦労のほうが記憶に鮮明だからだ。
 だけど高耶は、このとき何を言わなければならないか分かっていた。だから、真っ直ぐ老人の瞳を見つめ返した。

「はい」

 迷いのない高耶の瞳と言葉に、老人は詰めていた息をゆっくりと吐き出すように呟いた。

「そうか…」

 きっと彼が高耶に聞きたかったのは、それだけなのだろう。他にいろいろあるにせよ、これが一番大切な自分の役割だったのだと、高耶は朧げながら理解した。
 その後、他愛のないことを二人は話した。両親が生きていた頃のこと、施設に入ってからのこと、そして就職先でのこと。老人が病気を感じさせない重厚な声で問いかけるのに、高耶は口下手ながら必死で答えた。
 はっきり言って、まだ高耶は老人を祖父だとは思えなかった。それでも、母のことを想い、そしてその子供の自分のことも少なからず気にかけてくれているこの老人を、憎んだり嫌ったりすることはなかった。



 気がつけばもう夕方近くになっていて、疲れた老人を休ませるために高耶は部屋から連れ出され、今いるこの部屋―――おそらく応接室だろう―――で待たされているのだった。

(そろそろ帰んなきゃ)

 こうやってひとりでいると、さっきまでのことがなんだか夢のように感じられる。もちろん、この部屋を見る限り、夢でも何でもないのであるが。
 だが「夢のよう」と思ったことで、高耶は急に現実が見えた。
 学費を出してくれるというのは、とても嬉しい申し出だった。だけど高耶はもう、ひとりで生きていく決心をしていた。せっかく決まった就職とアパートもふいにするつもりはなかった。
 そうと決めたからには、早く帰って引越しをしなければならない。けれど勝手に帰るわけにも行かず(そもそも帰り道が分からない)、高耶はそわそわとしながら直江を待っていた。
 直江信綱という男、てっきり高耶は老人―――会長の秘書かなにかだと思っていたのだが、なんと上杉興業の取締役員らしい。上杉家の遠縁らしく、

「上杉は一族企業といって、株のほとんどを一族の人間が持っているんです。だから社長も半ば公認の世襲制ですし、遠縁の私も重要なポストを預かっているんですよ」

と言っていた。
 本当は高耶の相手をしている暇はないのだろうか。ずいぶんと高耶はそこで待たされた気がした。
ようやく直江がドアを開けて入って来たのを見て、高耶はぱっと立ち上がった。その高耶の顔に不安を見て取ったのか、直江は安心させるように微笑んだ。

「すいません、お待たせしました。部屋の用意ができたそうなので、こちらへ……」
「あの、オレ、もう帰らないと…」

 直江の言葉を遮るように慌てて言った高耶に、直江は一瞬目を見開いて、なぜか悲しそうに高耶を見つめた。

「帰ってしまうのですか?」

 あまりに悲しそうに言うので、高耶は自分が悪いような気になってしまった。

「あの、だって、アパートに引越ししなきゃならないから。今日やらないと、明日からまた仕事があるし。……ごめんなさい」

 うろたえて目を伏せてしまった高耶に、直江は初めて会ったときのような優しい声で尋ねた。

「この家は嫌いですか?」
「え……?」

 驚いて目を上げた高耶の視線の先で、直江が優しく微笑んでいた。心なしか、先ほどより近づいている気がする。

「この家で、一緒に暮らしていただけませんか?」
「え?」

 微笑んだまま、直江が近づいてくる。高耶は直江の言葉の意味が掴めないまま、それをぼんやりと見ていた。
 直江が真ん前まで来ると、光が遮られて高耶の顔に影が落ちた。結構な身長差があるので、高耶は必死で上を見上げる。
 そこに言葉の爆弾が落とされた。

「高耶さん」
「は、はい?」
「私と結婚してください」
「………は?」

 頭が真っ白になって、何がなんだかわからなくなった瞬間。
 高耶は唇に柔らかな感触を感じた。



 ―――ファーストキスを奪われたのだと気づいたのは、夜になってからだった。





[続]

紅雫 著
(2001.07.26)


[あとがき]
このお話はギャグです。もしくはコメディです。なんだかまともな出だしで書いてる本人ちょっぴり混乱してるんですが、これからおかしくなっていきます(爆)。
その片鱗はすでに直江に現れてますから。
だってあなた、会ったばかりの人間にプロポーズしていきなりちゅーかますなんて、どう考えたってギャグでしょう。
とゆーわけで、今後の展開はギャグだということを踏まえてご覧ください(笑)。
……なんだかだんだんまともな誕生日小説が書けなくなってるなぁ、私…(涙)。


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