Happy Anniversary


【2】





(広い庭だなぁ…)

 朝の清々しい空気を吸い込んで、高耶はぼんやりと辺りを見回した。朝食が終わって、暇―――というよりやることのない高耶は、庭に出てみたのだが。
 見事に手入れされた日本庭園に、高耶は昨日屋敷を見たときと同じくらい驚いていた。

(こういうのって手入れにすっごい金かかるって聞いたことあるけど、いくらくらい使ってんのかな)

 高耶はついつい貧乏人の発想をしながら散策していた。ちょうど中ほどまで来たんじゃないかと思ったそのとき、

「おはようございます」
「わぁっ!?」

突然後ろから声をかけられて、高耶は思わず飛び上がった。
 慌てて振り向くと、そこには自分をここへ連れてきた直江が立っていた。朝食の時には仕事で出かけたと聞いたのに、もう戻ってきたのだろうか。直江は昨日と同じように、優しい微笑を浮かべている。
 昨夜は結局、高耶は上杉邸に泊まったのだった。気づいたら、そういうことになっていたのである。直江にキスされて呆然としている間に、勝手に決められたようだ。

(そうだ。オレ、こいつにキス…!)

 目を見開いていた高耶が、今度はゆでダコのように真っ赤になってしまったのを見て、直江は不思議そうな顔をした。

「どうかしましたか?」

 どうしたもこうしたも、昨日自分が何をしたか忘れたのだろうか。まるで何事もなかったような態度の直江に、高耶はなんとなく腹が立った。

「直江さん、あの」
「"直江"と呼び捨てにしてくださって結構ですよ。敬語も必要ありません」
「え………、じゃ、直江」
「はい、なんでしょう」

 言い直すと、直江はなぜか嬉しそうににこにこと微笑んだ。

「昨日、なんであんなこと……」

 自分で言って恥ずかしくなってしまい、高耶は赤い顔で語尾を濁した。

「キスしたことですか?」
「!!」

 平然と言われ、高耶は耳まで赤くなって俯いてしまった。そんな高耶を愛しそうに見つめて、直江は寝癖のついた頭を優しく撫でた。

「嫌でしたか?」

 男にキスされるなんて、ホモじゃあるまいし嫌に決まっている。だけどそれをしたのが目の前の男だと思うと別に嫌じゃない自分自身に、高耶は困っていた。
 実際、触れるだけのキスは優しくて、驚いたけれど嫌悪感はなかったのだ。むしろ気持ちがいいくらいで…。

(もしかして、オレってホモだった?そんじゃ、オレにキスしたってことは、直江もホモ?)

 混乱して唸っている高耶に、直江は悲しそうに、でもやっぱり優しく言う。

「嫌だったのなら、二度としません。だから私のことを嫌いにならないでください」
「別に…嫌いになんてなるわけ…」

 言いかけて、はっと口をつぐむ。これじゃまるで「好き」だと言っているようではないか。再びかーっと顔が熱くなる。
 直江はそんな高耶に気づいているのかいないのか、嬉しそうに笑うなり、ふんわりと高耶を抱きしめた。

「ありがとうございます」
「……っ!?」

 広い胸に抱きこまれて、高耶は硬直した。固まった身体とは裏腹に、心臓はばくばくとうるさいくらいに高鳴っている。きっと直江にも伝わっているに違いない。
 恐る恐る顔をあげると、間近で優しい瞳が微笑んでいた。目が合うと余計に恥ずかしくなって、高耶は直江の胸に手をついて身体を離そうとしたが、優しいくせにがっちり抱きしめている腕はびくともしなかった。

(どうしよう、オレ、なんか変だ)

 直江に優しく見つめられただけで、こんなにドキドキする。キスされても、こうして抱きしめられても、全然嫌じゃない。
 だけどその一方で、冷静な頭が動いている。昨日会ったばかりなのに、なんで直江はこんなことをするんだろう。
 直江は男だ。しかも自分よりずっと年上の、大人の男だ。顔もいいし、頭もよさそうだし、女にすごくモテそうな、カッコイイ男だ。さっきはホモかと疑ってみたけど、とてもそうは見えない。

(じゃあ、なんで?)

 もしかしたら、からかわれているのかもしれない。そういえば、昨日ヘンなことを言っていた。『結婚してください』なんて、男同士でできるわけがないじゃないか。

(やっぱり、からかわれてるんだ)

 高耶は自分の思いつきに悲しくなって、俯いた。だがそんな高耶の考えを否定するように、直江は耳元で囁いた。

「高耶さん、昨日私が言ったことを覚えてますか?」
「え?」

 慌てて見上げた高耶に、直江は昨日と同じ口調で真剣に言った。

「私と結婚してください」
「!」
「返事を聞かせてくれますか?」

 直江はどこまでも真剣で、とてもふざけているようには見えない。だからこそ高耶は余計にうろたえた。

「だ、だって、あれって冗談…」
「冗談なんかじゃありません。私は本気です」
「でも、男同士で結婚できるわけ…」
「それは心配いりません。なんとでもなります」
「会ったばかりなのに…」
「気持ちに時間は関係ありません」
「オレ、まだ子供だし…」
「今すぐじゃなくてもいいんです。あなたが待てと言うなら、10年でも20年でも待ちます。今はただ、約束してくださるだけでいいんです」

 高耶の弱々しい反論に、直江は畳み掛けるように答えてくる。とどめに直江はあの悲しい瞳で問いかけた。

「私のことが嫌いですか?」

 真正面から目を覗き込まれて、どきっとする。綺麗な鳶色の瞳から、目を逸らしたいのに逸らせない。

(嫌いじゃ、ない)

 嫌いなんかじゃない。初めて会ったときから、こいつだと思った。自分を迎えに来てくれた人。ずっとずっと待っていた――――。
 それでも、待っていた時間が長すぎて、にわかには信じられなくて、高耶は小さく呟いた。

「なんで…?なんで、オレと結婚なんてしたいんだよ」
「あなたのことが好きだからです」

 さも当然とばかりに、直江は即答する。高耶は今度こそ呆然と直江を見上げた。

「あなたが好きだから。あなたが大切だから。ずっとあなたの傍にいたいから。ずっとずっと、一緒にいたいから、あなたと結婚したい」

 信じられない、と思った。そんなの嘘だ、と思った。出会ったばかりのくせに、何を言っているんだと思った。だけどそんな頭を無視して、心は嬉しさと喜びで舞い上がっていた。
 今まで自分を「好き」だと言ってくれた人なんて、記憶の中の両親しかいない。その両親も遥か昔にいなくなってしまって、自分はずっと独りだった。
 施設の人はちゃんと愛情を持って育ててくれたけれど、それは自分一人に注がれるものではなくて、施設の子供全員に平等の愛情だったから。
 だから、本当はずっと、自分だけを愛してくれる人が欲しかった。誰にも言ったことはないし、自分でも理解っていなかったけれど、きっとそうだったのだ。だからあんなにも、自分だけを迎えに来てくれる人を待っていたのだ。

「あなたを愛しています。私と結婚してくれますか?」

 もう一度、直江がプロポーズする。
 自分の「好き」は、直江の言う「好き」とは違うかもしれない。だけど、自分をこんなに求めてくれる人と、一緒にいたいと高耶は思った。
 だから、じっと直江の瞳を見つめて、とうとうこっくりと頷いたのだ。





***





「会長。私たち、結婚します」
「………………………なに?」

 自らの片腕として認めた男が、昨日初めて会った孫の肩に手を回して、にっこり人好きのする笑顔を浮かべて告げた内容に、上杉はぴくりと片眉を跳ね上げた。鋭い眼光で直江をしばし見つめたあと、その視線を高耶に移す。びくりと肩を震わせつつも、高耶はまっこうからその視線を受け止めた。

「本気なのか」
「…………はい」

 覚悟を決めて、こくりと頷く。
そのまま落ちた重苦しい沈黙に、高耶は内心冷や汗を流していた。

(やっぱり男同士で結婚なんて無理なんだ。じいさんだって、会ったばかりの孫がホモだったなんてショックだろう。反対されるに決まってる。もし直江がクビになったりしたらどうしよう…!やめればよかった。やっぱり結婚なんてやめておけばよかったんだ)

 すっかり悲観的になって、暗い気持ちで俯いた高耶の耳に、重々しくもどこか明るい声が飛び込んだ。

「それはめでたい」
「ありがとうございます」

(…………は?)

 信じられない思いで顔を上げてみれば、まるで当たり前の祝い事のように2人は喜んでいた。

「しかし高耶はまだ15歳だろう」
「ええ。先に婚約だけしておこうと思いまして。高耶さんが16歳になったらすぐに式を挙げたいんです」
「それならまず婚約発表をせねば」
「高耶さんのお披露目も兼ねて、盛大にやりたいですね」
「ちょ、ちょっと待って!」

 高耶が呆然としている間に、上杉と直江は勝手に盛り上がってしまった。それを見て、ようやく我に返った高耶は慌てふためいた。

「どうしたんですか?高耶さん」

 不思議そうに直江が尋ねる。だが不思議に思っているのは高耶も同じだ。

「結婚って…、さっきも言ったけど、男同士なのにどうやって?それに婚約発表って…」

 困惑しきっている高耶の様子を見て、直江は安心させるように微笑んだ。

「大丈夫、心配いりませんよ」

 その横で上杉もうんうんと頷いた。

「この日本で上杉にできないことはほとんどない。おまえたちの結婚くらい、造作も無いことだ」
「いちばん簡単なのは戸籍の操作ですね。高耶さんを女性ということにしてしまえば……」
「確実性を狙うなら、法律を変えてしまうほうがいいだろう」
「ですが、それは少し時間がかかるでしょう。まずは戸籍を変更して、法改正の後にまた戸籍を戻せばいいのでは」
「ふむ。では早いうちに、法案を提出させよう」
「さっそく手配しておきます」
「……………」

 当たり前のように戸籍操作だの法律を変えるだの、物騒な話をする2人を、高耶はもはや何も言えず、唖然として見つめた。

「すぐに高校編入の手続きもしなければなりませんね。資料を取り寄せましょう」
「亮聖学園はどうだ。あそこの理事長は友人だから、融通がきく」
「あそこはセーラー服でしょう。高耶さんは華奢ですが、さすがに体型がごまかしにくいと思いますよ。扶桑学院ならブレザーですから、問題ないかと」
「通うのは男子学生としてだろう」
「ですが、一応写真を撮っておく必要がありますから」
「では両方撮ってみて決めたらどうだ」
「そうですね。きっとよく似合うと思いますよ」

 ようやく直江は高耶を振り返ってにっこり笑ったが、二人の会話は高耶にとって、すでに異次元の域に入っていて、何をどう返せばいいのか分からなかった。
 そもそも高校に通う気はなかったはずなのに、しっかり行くことになっているのはどういうことか。
 しかも――――。

「………セーラー服?」
「ブレザーもです。通学するときは、ちゃんとズボンですから。ああ、お披露目用のドレスもすぐデザインしてもらいましょうね」
「……………ドレス?」
「高耶さんは何色がいいですか?やはりブルー系が清楚でいいと思いますが」
「…………………オレが着るの?」
「もちろんです」

 正面では、上杉も深く頷いている。
 その瞬間、結婚を決めたことを、高耶は心から後悔したのだった。





[続]

紅雫 著
(2004.07.24)


[あとがき]
3年ぶりの「Happy Anniversary」です〜(爆)。
あーもう、なんでこんなに間を空けてしまったのか…。
それでもストーリーを忘れていなかった自分は、ある意味すごいというか、そんなことに脳細胞使ってる余裕があったらとっとと書けって感じがします。
さて。
1話目のあとがきで書いてますが、改めて注意書きを。
このお話はギャグもしくはコメディです。
ですから謙信公がおかしかろうと、直江がとばしてようと、高耶さんが乙女だろうと、気にせず読んでください(笑)。
次回完結します。
今度こそ絶対に、今月中に!


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