Happy Anniversary


【3】





 高耶が直江と出会ってから2週間後の今日、高耶も名前を知っている、上杉系列の高級ホテルのパーティールームを借り切って、高耶と直江の婚約披露パーティーが予定されていた。
 もちろん高耶はドレスを着て。

(冗談だと思ってたのにー!)

 あいにく冗談ではなかった。
 直江と上杉は大マジだったらしい。
 そんなわけで今日の高耶は、アイスブルーのオートクチュールドレスに、胸あたりまであるロングウィッグをつけた、どこから見ても清楚で可憐な美少女に変身させられていた。



 高耶は当初、女装だけはなにがなんでも抵抗しようと思っていた。
 だが女装は嫌だと直江に告げたとき、あまりにも悲しそうな顔をされて、それ以上言えなくなってしまったのだ。

「どうしても、嫌ですか…?」

 嫌に決まってる。だって自分は男だ。
 しかし嫌だと言えば、自動的に結婚の話は消えるだろう。結婚自体に疑問はあるものの、直江と別れてしまうのは、女装以上に嫌だった。
 現実的に考えれば、別に結婚しなくても一緒にいる方法はいくらでもあるはずなのだが、最初に「結婚」という手段を目の前に示された高耶は、他の方法を思いつくことすらできなくなっていた。
 さらに、あっという間に出来上がったドレスをイヤイヤながら試着したとき、

「よくお似合いですよ」

という直江の、本当に嬉しそうな笑顔を見てしまえば、高耶にはそれ以上抵抗などできなかったのだ。



 そんなわけで、すっかり直江にほだされた高耶は、控え室としてリザーブされたホテルの一室で、最後まで抵抗しなかったことを悔やみつつ、戦々恐々とパーティーの始まりを待っていた。
 直江は準備の指揮に忙しいらしく、部屋には高耶一人しか居ない。
 こうしてぽつんと取り残されると、今まで幾度も感じた不安がむくむくと頭をもたげてくるのを感じた。

 本当に結婚なんてしてしまっていいのだろうか。
 男同士で結婚なんて、やっぱり不毛じゃないのか。
 こんな格好までして、バレたらどうするんだろう。
 自分だけじゃなく、直江まで恥ずかしい思いをするんじゃないだろうか。
 きっとみんな馬鹿にするに決まっている。
 それに、あれほどの男が、なぜ自分なんかを好きになったりしたんだろう。
 自分はなんの取り得もない、ただの子供なのに。
 本当に本気なんだろうか。
 本気で、結婚するんだろうか…。

 直江の真摯な態度を疑いたくはないのに、不安で不安でどうしようもなくなってくる。
 結婚のことも、まるで冗談のように思えてきてしまう。
 とても落ち着いて座ってなどいられなくなって、高耶はソファから立ち上がった。

(直江に会いに行こう)

 少しだけでも、遠くから眺めるだけでもいいから、直江の姿を見れば落ち着くかもしれない。
 一言でも話が出来れば、きっとこんな不安など消えてしまうだろう。
 部屋から出ようとしたそのとき、チャイムの音が鳴り響いた。

(直江が来た?)

 直江に案内されてこの部屋に通されたとき、直江から「迎えに来るまでここで待っていてください」と言われていた。
 だからてっきり直江だと思って、高耶は確認せずに慌ててドアを開け放った。

「直江?」

 だがそこにいたのは、スーツ姿の見知らぬ男だった。

「やあ。君が高耶さん?」
「え……?」

 直江ほどではないものの、高耶より大分背の高い30歳前後の男が、親しげに笑いながら立っていた。

「写真でも美人だと思ったけど、実物のほうがずっと可愛いな」

 本人はフレンドリーな態度のつもりかもしれないが、初対面の相手に馴れ馴れしいうえに、笑い方がなんだか厭らしい感じがして、高耶は不審気な顔を隠さずに言った。

「あの、どちら様ですか?」
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕は君のお母さんのいとこで、上杉則政だ。君にとっては、遠縁の叔父になるのかな」
「叔父さん?」

 いきなり現れた親戚に高耶はうろたえた。

(変な態度とって、まずかったかな)

「立ち話もなんだから、座って話さないか?」
「あ、はい」

 促されて、ドアに背を向けた高耶は、だから気づかなかった。
 則政がドアに鍵をかけたことに。



 ソファに向かい合わせに座ると、則政は再びまじまじと高耶を見つめた。

「本当に、お母さんによく似てるね」
「……そうですか?」
「ああ。お母さんはとても綺麗な人だったが、君もとても美人だ。まったく、あの男の策略の道具にされるなんて、もったいなさすぎる」
「策略…?」

 気になる言い方をされて、高耶は反射的に聞き返した。なんだかものすごく嫌な予感がした。

「直江のことだよ。あの男は傍系で、本来なら上杉グループの中枢にいることは許されないくせに、親が会長の友人であるのをいいことに、グループの中枢で派閥を作って幅をきかせているんだ。君との結婚は、自分の地位を固めるための政略結婚だよ。上杉グループ次期会長の座を狙っているなんて噂もあるから、その布石なんだろう。まったく、腹黒い奴だよ」

 吐き捨てるように言い捨てられて、高耶は嫌な予感が的中したのを知った。先ほどひとりで悶々と考えていた不安が、現実味を帯びてのしかかってくる。
 それでもすぐには信じたくなくて、必死に首を振った。

「そんな、直江はそんなんじゃ……!」
「信じたくない気持ちは分かるけどね」

 そう言って、則政は席を立って高耶の隣りに座り、肩に手を置いた。

「男の子の君に、こんな格好をさせていることが証拠の様なものだよ」

 はっとして高耶が顔を上げる。

「本当なら君は直系の男なんだから、君が上杉グループを継ぐ資格がある。だが君を女の子として扱って結婚することで、上杉の名前を手に入れて自分が後継者になろうとしているんだ」

 高耶は目の前が真っ暗になるのを感じた。

(ああ、そうだったのか)

 則政の言うことを信じたくはない。
 だが、結婚も女装もやはり不自然すぎて、高耶はどうしても納得できていなかったのだ。
 それが、則政の言葉ですべて説明がついてしまう。

(全部、嘘だった?)

 誠実そうに見えた言葉も表情も、直江のなにもかもが嘘だったのだろうか。
 あんなに愛してるって言ってくれたのに―――。
 直江の真摯な瞳を思い出して、高耶は決心した。

(なにもしないで、考え込んでも仕方ない)

「………オレ、直江に聞いてみます」

 だが立ち上がった高耶の手を、則政が掴んで離さなかった。

「だめだよ、あんな男のところに行ったら。聞いてみたって分かるわけがないだろう?」
「それでも聞いてみなきゃ、何も分からないから」
「俺の言うことが信じられない?」

 則政の一人称が変わって、声のトーンが一段低くなった。
 と思ったら、手を思い切り引っ張られて、高耶はソファに崩れ落ちた。その上からすかさず覆い被さられて押さえつけられ、高耶は豹変した男をきっと睨み上げた。

「なにするんだよっ!」
「あんな奴を信じても無駄だぞ。あいつは女好きで、しょっちゅう女をとっかえひっかえしているので有名なんだ。君はただのお飾りだよ」
「………っ」
「だから俺にしておけよ」

 にやりと笑った顔が近づいてきて、高耶は必死で顔を背けた。

「なに言って…!」
「俺は女より男のほうが好きなんだ。とくに君みたいに綺麗な子がね。あの男は趣味だけはいいな。このドレス、よく似合ってるよ。倒錯的で、襲ってくださいって言ってるみたいじゃないか」
「やだ!やめろよ!」

 耳朶を噛まれて首筋を舐められ、スカートの裾から手が入って足を這い回る感触に、高耶は嫌悪感で叫んだ。

「直江!助けて、直江!」



 叫び声に答えるようにドアが激しい音を立てて破られ、荒々しい足音がいくつも近づいてきた。次の瞬間には、則政は高耶から引き剥がされて、床に転がっていた。

「直江!」

 警備服を着た男たちに取り押さえられ、苦痛に顔を歪めた則政が叫ぶのを、高耶は直江の腕の中で呆然と聞いていた。
 見上げた直江の顔は、高耶が今まで見たことのない厳しい表情をしていた。そしてその声もまた、聞いたことがないほど冷たいものだった。

「相変わらず腐った男だ」
「直江、貴様…!」
「来場しているのに姿が見えないと思ったら、案の定だったな。1ヶ月前にも未青年売春をしたのが発覚して、もみ消したと聞いているが。お父上もおまえにはほとほと愛想が尽きたそうだ。今度は助けてもらえると思うなよ」

 直江の言葉に、則政は目を見開いて、それから引きつった笑いを浮かべた。

「はっ、ははははっ!なんだ、そういうことか。おまえ、俺をはめるために、わざわざ彼に女装までさせたのか。彼をエサにしたんだな!」

 エサと呼ばれて、高耶は直江の腕の中でぴくりと身じろいだ。その動きを感じて、直江ははっきりと眉を寄せた。

「俺が邪魔だったんだろう?いくら会長のお気に入りとはいえ、血筋では俺が一番後継者に近いからな!」
「確かに邪魔だったな」

 直江はひとつため息をついた。

「だがそれは血筋の問題じゃない。いまどき血筋などになんの意味がある?そんなものの価値を信じているのはおまえだけだ。後継者後継者とうるさいが、それはもうとっくに俺がなることに決まっている」
「なに……っ!?」
「つまり、おまえがいくら高耶さんを手に入れようと、すべて無駄なあがきだということだ。もちろんおまえなどに、髪の毛一筋だって渡すつもりはないがな」

 それから直江は、警備員に向かって言った。

「連れて行け」
「はい」
「直江!このままで済むと思うなよ!」

 無理やり部屋から連れ出されるのに抵抗しながら則政が叫ぶと、直江はうんざりしたように言った。

「ひとつ言い忘れていた。俺がおまえを邪魔だと思っていた理由だが。おまえのような自尊心ばかり強い無能の変態は、存在自体が不愉快だからだ。分かったら、二度とその腐った面を見せるな」





***





 部屋は二人きりになり、静寂が戻った。

「高耶さん、大丈夫ですか?」

 そう言って覗き込んでくる直江は、心から心配しているように見える。

「………直江」
「はい」
「オレ、エサだったのか?」
「高耶さん……」

 高耶の眼にみるみるうちに涙が溜まっていくのを見て、直江は息を飲んだ。

「そんなわけないに決まっているでしょう。あの男は悪い噂があったので、いないことに気づいたとき嫌な予感がして、慌ててこちらに来たんです」

 頬に零れ落ちた涙をそっと手のひらで拭って、直江は苦しそうに呟いた。

「もっと警備をしっかりしておけばよかった。怖い目にあわせてしまって、すみませんでした」

 頬に添えられたままの手を、高耶は首を振って外して、再び言い募った。

「じゃあ、政略結婚っていうのは?オレと結婚するから、直江は後継者になれるのか?」
「それもあの男が言ったんですか?」

 さきほどの厳しい表情になって直江が問い掛けるので、高耶は怯えながら頷いた。それを見て、直江は小さくため息をついた。

「それも全部嘘です。あなたと結婚しようがしなかろうが、私が次期会長になることはすでに決まったことですから」
「じゃあ……じゃあ、なんで?男同士で結婚なんて、やっぱりおかしい」
「もしかして、ずっと不安に思っていましたか?」

 高耶がこくりと頷くと、直江は自嘲気味に笑った。

「すみません。きちんとお話しておけばよかったですね。あなたが結婚してくれるのが嬉しくて、浮かれすぎていました。あなたが不安に思っていることにも気づかなかったなんて、婚約者失格ですね」
「そんなこと……」

 あまりにも悲しそうなので、高耶は慌てて首を振った。
 直江はそっと高耶の手を握ると、少し遠い目をして語り始めた。

「あなたと初めて会ったのは、あなたのご両親のお葬式のときでした」

 高耶が生まれた頃には、上杉はすでに高耶たち親子の居場所を知っていたという。高耶がひとり取り残されたのを知ったとき、手元に引き取ることを考えたが、企業グループのトップという立場ではともに居てやることもできず、逆に淋しい思いをさせかねないと考えて、施設で新しい家族を捜してやる道を取ったのだ。
 そのため両親の葬式には公に訪れることができず、直江の父と当時高校生だった直江が代理として、父親の会社関係者に紛れて参列したのだった。

「あなたは控え室で、ひとりで小さくなって泣いていました。私が近づくと、最初は驚いていましたが、そのうち私にしがみついて泣きじゃくったんです」

 抱きしめたら壊れてしまいそうに小さく儚くて、直江はそのとき、このいとけない存在を守ってやりたいと強く願った。
 そのときに約束したのだ。

『必ず迎えに行くから、待っていて――――』

と。

 高耶は呆然と聞いていた。

(じゃあ、あれは本当に直江だったんだ……。毎年誕生日になると見た夢は、直江とした本当の約束だったんだ)

「それから私は上杉グループで、あなたを守れるだけの力を手に入れるために努力しました。会長はそのことをご存知で、だから私を後継者に指名したんです。あなたがもし上杉の後を継ぐ気がなくても、私の力で守れるように。あなたが成人して上杉を継ぐなら、すべてを引き継げるように。そのおかげで、結婚もすんなり認めて頂けました」

 嬉しそうに直江が笑うので、高耶は一番の疑問を思い出した。

「でも、なんで結婚なんだ?」
「言ったでしょう?あなたを愛しているからです。結婚という形で、あなたを縛っておきたいんですよ」

 微笑みながら言われて、高耶はかぁっと紅くなった。
 あれだけ不安に思って、直江の気持ちすら疑っていたのに、こうして真正面から向き合って言われると、直江の言葉は真実であることが良く分かった。あまりにもストレート過ぎて、疑う余地すらない。

「それと、もうひとつ。家族を失くしてしまったあなたの、新しい家族になりたいんです。だから、あなたと結婚したい」
「直江……」
「力を手に入れるのに時間がかかって、10年もお待たせしてしまいましたけど。約束どおり、あなたを迎えに行くことが出来ました」

 直江は高耶の背中に腕をまわすと、そっと引き寄せた。優しく抱きしめられて、直江の胸元で高耶は暖かい鼓動を感じていた。

「10年前、あなたの誕生日は悲しい日になってしまったけれど。これからは、また幸せな記念日になるように、ずっと一緒に居ますから」
「うん……」
「二人で幸せになりましょうね」
「うん」





 こうして、10年越しの約束は成就したのだった。





[終]

紅雫 著
(2004.07.27)


[あとがき]
めでたしめでたしで完結でございます(笑)。
なにがめでたいって、無事完結したことが一番めでたいですね〜。
このお話のコンセプトは「少女漫画なラブコメ」でした。
最終話が微妙にシリアス調なのが私的には少し残念なのですが、少女漫画というお題はクリアできたと思います。
お約束な設定にお約束な展開、そしてお約束な結末ってことで(笑)。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。


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