【3】
(冗談だと思ってたのにー!)
あいにく冗談ではなかった。
「どうしても、嫌ですか…?」
嫌に決まってる。だって自分は男だ。
「よくお似合いですよ」
という直江の、本当に嬉しそうな笑顔を見てしまえば、高耶にはそれ以上抵抗などできなかったのだ。
本当に結婚なんてしてしまっていいのだろうか。
直江の真摯な態度を疑いたくはないのに、不安で不安でどうしようもなくなってくる。
(直江に会いに行こう)
少しだけでも、遠くから眺めるだけでもいいから、直江の姿を見れば落ち着くかもしれない。
(直江が来た?)
直江に案内されてこの部屋に通されたとき、直江から「迎えに来るまでここで待っていてください」と言われていた。
「直江?」
だがそこにいたのは、スーツ姿の見知らぬ男だった。
「やあ。君が高耶さん?」
直江ほどではないものの、高耶より大分背の高い30歳前後の男が、親しげに笑いながら立っていた。
「写真でも美人だと思ったけど、実物のほうがずっと可愛いな」
本人はフレンドリーな態度のつもりかもしれないが、初対面の相手に馴れ馴れしいうえに、笑い方がなんだか厭らしい感じがして、高耶は不審気な顔を隠さずに言った。
「あの、どちら様ですか?」
いきなり現れた親戚に高耶はうろたえた。
(変な態度とって、まずかったかな)
「立ち話もなんだから、座って話さないか?」
促されて、ドアに背を向けた高耶は、だから気づかなかった。
「本当に、お母さんによく似てるね」
気になる言い方をされて、高耶は反射的に聞き返した。なんだかものすごく嫌な予感がした。
「直江のことだよ。あの男は傍系で、本来なら上杉グループの中枢にいることは許されないくせに、親が会長の友人であるのをいいことに、グループの中枢で派閥を作って幅をきかせているんだ。君との結婚は、自分の地位を固めるための政略結婚だよ。上杉グループ次期会長の座を狙っているなんて噂もあるから、その布石なんだろう。まったく、腹黒い奴だよ」
吐き捨てるように言い捨てられて、高耶は嫌な予感が的中したのを知った。先ほどひとりで悶々と考えていた不安が、現実味を帯びてのしかかってくる。
「そんな、直江はそんなんじゃ……!」
そう言って、則政は席を立って高耶の隣りに座り、肩に手を置いた。
「男の子の君に、こんな格好をさせていることが証拠の様なものだよ」
はっとして高耶が顔を上げる。
「本当なら君は直系の男なんだから、君が上杉グループを継ぐ資格がある。だが君を女の子として扱って結婚することで、上杉の名前を手に入れて自分が後継者になろうとしているんだ」
高耶は目の前が真っ暗になるのを感じた。
(ああ、そうだったのか)
則政の言うことを信じたくはない。
(全部、嘘だった?)
誠実そうに見えた言葉も表情も、直江のなにもかもが嘘だったのだろうか。
(なにもしないで、考え込んでも仕方ない)
「………オレ、直江に聞いてみます」
だが立ち上がった高耶の手を、則政が掴んで離さなかった。
「だめだよ、あんな男のところに行ったら。聞いてみたって分かるわけがないだろう?」
則政の一人称が変わって、声のトーンが一段低くなった。
「なにするんだよっ!」
にやりと笑った顔が近づいてきて、高耶は必死で顔を背けた。
「なに言って…!」
耳朶を噛まれて首筋を舐められ、スカートの裾から手が入って足を這い回る感触に、高耶は嫌悪感で叫んだ。
「直江!助けて、直江!」
「直江!」
警備服を着た男たちに取り押さえられ、苦痛に顔を歪めた則政が叫ぶのを、高耶は直江の腕の中で呆然と聞いていた。
「相変わらず腐った男だ」
直江の言葉に、則政は目を見開いて、それから引きつった笑いを浮かべた。
「はっ、ははははっ!なんだ、そういうことか。おまえ、俺をはめるために、わざわざ彼に女装までさせたのか。彼をエサにしたんだな!」
エサと呼ばれて、高耶は直江の腕の中でぴくりと身じろいだ。その動きを感じて、直江ははっきりと眉を寄せた。
「俺が邪魔だったんだろう?いくら会長のお気に入りとはいえ、血筋では俺が一番後継者に近いからな!」
直江はひとつため息をついた。
「だがそれは血筋の問題じゃない。いまどき血筋などになんの意味がある?そんなものの価値を信じているのはおまえだけだ。後継者後継者とうるさいが、それはもうとっくに俺がなることに決まっている」
それから直江は、警備員に向かって言った。
「連れて行け」
無理やり部屋から連れ出されるのに抵抗しながら則政が叫ぶと、直江はうんざりしたように言った。
「ひとつ言い忘れていた。俺がおまえを邪魔だと思っていた理由だが。おまえのような自尊心ばかり強い無能の変態は、存在自体が不愉快だからだ。分かったら、二度とその腐った面を見せるな」
「高耶さん、大丈夫ですか?」
そう言って覗き込んでくる直江は、心から心配しているように見える。
「………直江」
高耶の眼にみるみるうちに涙が溜まっていくのを見て、直江は息を飲んだ。
「そんなわけないに決まっているでしょう。あの男は悪い噂があったので、いないことに気づいたとき嫌な予感がして、慌ててこちらに来たんです」
頬に零れ落ちた涙をそっと手のひらで拭って、直江は苦しそうに呟いた。
「もっと警備をしっかりしておけばよかった。怖い目にあわせてしまって、すみませんでした」
頬に添えられたままの手を、高耶は首を振って外して、再び言い募った。
「じゃあ、政略結婚っていうのは?オレと結婚するから、直江は後継者になれるのか?」
さきほどの厳しい表情になって直江が問い掛けるので、高耶は怯えながら頷いた。それを見て、直江は小さくため息をついた。
「それも全部嘘です。あなたと結婚しようがしなかろうが、私が次期会長になることはすでに決まったことですから」
高耶がこくりと頷くと、直江は自嘲気味に笑った。
「すみません。きちんとお話しておけばよかったですね。あなたが結婚してくれるのが嬉しくて、浮かれすぎていました。あなたが不安に思っていることにも気づかなかったなんて、婚約者失格ですね」
あまりにも悲しそうなので、高耶は慌てて首を振った。
「あなたと初めて会ったのは、あなたのご両親のお葬式のときでした」
高耶が生まれた頃には、上杉はすでに高耶たち親子の居場所を知っていたという。高耶がひとり取り残されたのを知ったとき、手元に引き取ることを考えたが、企業グループのトップという立場ではともに居てやることもできず、逆に淋しい思いをさせかねないと考えて、施設で新しい家族を捜してやる道を取ったのだ。
「あなたは控え室で、ひとりで小さくなって泣いていました。私が近づくと、最初は驚いていましたが、そのうち私にしがみついて泣きじゃくったんです」
抱きしめたら壊れてしまいそうに小さく儚くて、直江はそのとき、このいとけない存在を守ってやりたいと強く願った。
『必ず迎えに行くから、待っていて――――』
と。
高耶は呆然と聞いていた。
(じゃあ、あれは本当に直江だったんだ……。毎年誕生日になると見た夢は、直江とした本当の約束だったんだ)
「それから私は上杉グループで、あなたを守れるだけの力を手に入れるために努力しました。会長はそのことをご存知で、だから私を後継者に指名したんです。あなたがもし上杉の後を継ぐ気がなくても、私の力で守れるように。あなたが成人して上杉を継ぐなら、すべてを引き継げるように。そのおかげで、結婚もすんなり認めて頂けました」
嬉しそうに直江が笑うので、高耶は一番の疑問を思い出した。
「でも、なんで結婚なんだ?」
微笑みながら言われて、高耶はかぁっと紅くなった。
「それと、もうひとつ。家族を失くしてしまったあなたの、新しい家族になりたいんです。だから、あなたと結婚したい」
直江は高耶の背中に腕をまわすと、そっと引き寄せた。優しく抱きしめられて、直江の胸元で高耶は暖かい鼓動を感じていた。
「10年前、あなたの誕生日は悲しい日になってしまったけれど。これからは、また幸せな記念日になるように、ずっと一緒に居ますから」
[終]
紅雫 著 [あとがき] めでたしめでたしで完結でございます(笑)。 なにがめでたいって、無事完結したことが一番めでたいですね〜。 このお話のコンセプトは「少女漫画なラブコメ」でした。 最終話が微妙にシリアス調なのが私的には少し残念なのですが、少女漫画というお題はクリアできたと思います。 お約束な設定にお約束な展開、そしてお約束な結末ってことで(笑)。 少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。 |
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