OATH 〜ずっとそばにいる〜


【1】





闇を切り裂くように、鋭い瞳が光る。
それは獣の瞳。

人であることをやめたそれは、神がつくったそのままに純粋で、
それを汚す自分は悪魔のような気がする。
それでも手放せない。

美しい獣――――。






「はあ?何だって?直江」

電話口で素っ頓狂な声が上がった。

「何度も言わせるな。亡くなった叔父上に厄介なことを頼まれたんだ。だからしばらく休む。後は頼んだぞ、千秋」

憮然とした声で答え、相手の返事も待たず電話を切ると、直江信綱はふうっと溜息をついた。


ここは長野県S市。直江は昨日亡くなった親類に頼まれた仕事をするため、山奥の彼の家を訪ねようとしていた。

彼は10数年前まで放浪暮らしをしていた。
変わり者で妻も無く、心理学者として名が売れているというのに、ひとつところに落ち着いて研究をするよりも、世界中をまわって人々と接するのが好きだった。

その彼がこの山奥に住み着いたのには理由がある。
10年ほど前テレビや雑誌を騒がせた、「狼少年」がそれである。
この山中で、まるで「狼少女ジェーン」を彷彿とさせるような6歳の子供が発見されたのだ。言葉は喋れず獣のように唸り、手と足を使って4つ足で歩く。食べ物は木の実や草、生の獣肉を食べていたようだった。

なぜ現代にこのようなことが起こったのか、誰にも分からなかったが、大事な問題が一つあった。それはこの少年をどうするかである。
ここで名乗りを挙げたのが、変わり者で有名だった直江の叔父であった。
彼はその少年を自分の息子として引き取ると、「人間」として育てあげるべく、この山中に篭ったのだ。

それからすでに11年。
マスコミもすっかり彼らのことを忘れ去った頃、叔父は亡くなった。
少年のことを同じ心理学者になった直江に託して。

直江は叔父が嫌いではなかった。むしろ敬愛していた。
幼い頃から衝動的に自殺を繰り返していた自分を、ここまでまともにしてくれたのは家族と彼だった。
一族の中で変わり者といわれ、人との付き合いがほとんど無かった彼も、自分だけは可愛がってくれた。

だから彼が自分に頼ってくれるのは嬉しいのだ。
嬉しいのだが、しかし…。


(なにもこんな厄介ごと押しつけていかなくてもいいだろうに)

ついぼやきたくなる直江である。
なにしろ自分はまだ28歳。心理学者としての経験も浅く、子供と向き合ったことも無い。
そんな自分に「狼少年」の更正ができるのだろうか。

もう一度溜息をつくと、すでに半分灰になりかけたタバコを落とし、足で踏み潰す。
いつまでもこんなところでぼやいていても仕方が無い。
とりあえずはその少年に会ってみることだ。

願わくば叔父の教育が完成して、普通の少年になっていますように―――。









その家は山中に一軒だけ建っていた。
叔父の好みらしく、田舎風の平屋で、大きな庭がついている。周りはすべて森だった。
車で入ってこられるのがせめてもの救いか。
もしかしたらこんなところで暮らさなければならないのかと思うと、再び溜息が零れる直江だった。

「ごめんください」

戸口で声をかけてみる。

が、返事は無い。
いささか失望しつつも、玄関から入ってみる。

叔父の死は病院で訪れた。直江も立ち会っている。
叔父は心臓病を患っていた。自分の死期も悟っていたらしい。だからこそ直江を呼びつけ、少年の教育を頼んだのだが…。

その少年は見当たらなかった。

(もしかして、近所の人の家か?)

一応近所付き合いをしていたらしく、叔父は病院に入る時、近所の人に少年の世話を頼んだらしい。
とりあえず行ってみるかと踵を返しかけたとき、奥から小さな物音が聞こえた。

(いるのか…?)

直江は上がり込んで、奥の部屋へと向かった。





[続]

紅雫 著
(2000.01.28)


[あとがき]
いかがでしょうか。紅雫初の長編でございます。…っていかがも何も、まだ高耶さんも出てきてないじゃん(爆)。
ちょっと短く切りすぎたでしょうか。でも一つがあんまり長くても・・・と思ったものですから。
次回をお楽しみにってことで(笑)。


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