MISTAKE


【後編】





「直江…」

バイトが終わって店を出てきた高耶の前に、見慣れたダークグリーンの車体と長身の男の影があった。

「高耶さん、お久しぶりですね」

いつもと変わらぬ優しい声。
高耶は強いて無表情を作ると、低い声で問いかけた。

「…何の用だ」
「あなたに会いたかったんです。それとも用がなければ会いに来てはいけませんか」
「オレは会いたくない」

そっけない高耶の言葉に、直江は真率な顔になった。

「私が浮気をしたからですか」
「……!!」

伏せていた目を上げ、ものすごい目で睨みつけてくる。
直江はそれを余裕で躱すと、ウィンダムのドアを開けた。

「こんなところで話す内容でもないでしょう。乗って下さい」

どこか有無を言わせない口調に、高耶は再び反発を覚えるが、確かにいつまでもここにいるのはまずい。
一瞬鋭く直江を睨んだが、大人しく車に乗り込んだのだった。


「おい!どこに行くんだよ!」

てっきり駅前のホテルか何かに連れて行かれるのだと思い込んでいた高耶は、高速に乗った車を見て慌てた声を上げる。

「どこっていつものマンションですよ」
「なんだと!?」

この男は何を考えているのか。

「冗談じゃねぇ!オレはそんなとこに行かない。今すぐ降ろせ!」
「無茶を言わないでください。心配しなくても明日には送り届けますよ。ああ、なんだったらバイト先に休む電話を入れておきますか?」

いけしゃあしゃあと告げてくる男に、高耶は本気で殺意を覚えた。

「直江…、今すぐ降ろせ」

もう一度だけ押し殺した声で言うが、直江はがんとして譲らなかった。

「あそこでなければだめなんですよ。どうぞ、眠かったら寝ていて下さい。着いたら起こしますから」

これ以上何を言っても無駄だと悟った高耶は、ひとまず大人しくシートに身体を預けた。
しかしその瞳は鋭く前を睨み続けていた。

対する直江は、決して余裕があったわけではなかった。
それどころか、内心焦りまくっていたのだ。

(これ以上こじらせれば、二度と会えなくなる)

そんな恐怖に取りつかれていた。
だからこそ強引に高耶を東京に連れて行くのだ。
証拠を見せるために。



リビングに入ったところで、高耶はぴたりと立ち止まる。
そこは5日前のままだった。
さすがに香水の匂いは消えていたが…。

「話を聞こうか」

高耶は無表情で冷たく言い放つ。

「高耶さん、私が浮気をしたと思ってるんでしょう?」
「…思ってるんじゃなくて、事実だろ」
「それは誤解です」

直江の言葉に高耶はふん、と鼻を鳴らす。

「その様子じゃオレがこの部屋に来たことも気づいてるんだろ?それでよくそんな嘘がつけるよな」
「嘘じゃありませんよ」

頑なな高耶の態度に、直江の表面上の余裕も崩れ始めた。

「おまえの言葉なんて信じない。だいたいオレはおまえなんか好きじゃないんだ。もう関係ない」

高耶の言葉に直江もいい加減切れた。

「好きじゃない?じゃあなんでここに来るのを嫌がったんです。…妬いているんでしょう?」

だがこれは、言ってはいけない一言だったのだ。
それまで余裕を保っていた高耶は、この言葉で一気に怒りを爆発させた。

「妬いてる、だと!?ふざけんな!オレは怒ってるんだ。約束やぶっといて、よく平然としてオレの前に出られるよな。どうゆう神経してるんだよ!」

激昂して叫びまくる高耶に、直江は圧倒されたように黙り込んだ。
高耶の瞳に涙が浮かびあがっている。

「おまえの顔なんか、もう二度と見たくない!…分かったら出てけよ。オレの前から消え失せろ!」

ここは直江のマンションなのだから、本当なら高耶が出て行けばいいのだが、怒りで頭が沸騰している高耶はそんなことには気づかない。

「高耶さ…」
「うるさい、出て行け!さっさと出て行け、今すぐ出て行け!」

しばらく出て行けコールをしていた高耶だが、動かない直江を見て自分が動いた。

「おまえが出て行かないなら、オレが出てく」

直江は慌てて引き止める。

「待って下さい、高耶さん!」
「待たない!おまえなんか嫌いだ!」

これは言葉で言っても駄目だ。
ようやく悟った直江は高耶を思い切り引き寄せ、抱きしめた。

「はなせ!」

暴れても離さない。
高耶は泣きながら直江の腕の中でもがく。

「…はなせよ、この浮気者!おまえなんか嫌いだ…っ」

直江は逃げられない程度に腕を緩めると、高耶の顔を覗き込んだ。
高耶は涙に濡れた顔でひたすら睨みつけてくる。
それがあまりにも可愛くて、直江はそっと涙を唇で掬った。
高耶は嫌がって抗う。

「やめろっ」
「高耶さん…。信じて下さい、私は何もしていない」
「嘘だ。信じられない…」

高耶は泣き止まない。

「おまえなんか…っ」

後はもう言葉にならなかった。しゃくりあげながら、直江を責めた。
直江は溜息をついてそっと高耶を離すと、寝室への扉を開けた。途端、高耶の身体がびくりと揺れる。

「高耶さん、見てもらいたいものがあるんです」
「嫌だ…」

高耶は震えた声で拒絶する。

「なぜ嫌なんです」
「そこは…行きたくない」
「大丈夫だから、こっちへ来て」

直江は突然高耶の腕を掴んだ。
咄嗟に振り払おうとするが、はずせない。
そのまま寝室へと連れ込まれてしまった。

見たくないのに視界にベッドが飛び込んでくる。そこも、リビングと同じようにあの日のままだった。
また涙が溢れそうになって、高耶は慌てて視線を逸らした。
だが直江はそれに対し気が触れたようなことを言ってくる。

「よく見てください」
「嫌だ!」
「嫌じゃない。ほら、よく見て」

高耶の顎を捕らえ、無理矢理ベッドの方に顔を向かせる。
そこにあるのは乱れたシーツ。
首を振って涙を流し、高耶は叫んだ。

「なんでこんなことするんだよ…っ!」
「何もなかったからです」

直江は高耶を上向かせ、じっと瞳を覗き込んで真摯に告げた。

「何も、なかったんです。ほら、よく見て下さい。何もないから」

くり返し告げて、高耶の顔を再びそっとベッドに向ける。
高耶は最初目を閉じていたが、恐る恐る開いていった。
そこにあるのは、乱れたシーツ。そして…。

「――――ほら、何もないでしょう?」

確かにシーツは乱れているが、直江の言う通り汚れはなかった。

「事情を話しますから、聞いてくれますね?」

直江の言葉に、高耶は戸惑いながらも頷いた。



「…というわけだったんですよ」

直江の説明に、高耶は眩暈がした。

(…ようするに、単なる勘違いってわけか!?)

だが勘違いされても仕方ない状態だったことは確かである。
直江もそれは認めた。

「あの日は私も疲れてましたから…。でもすぐに会いに行って誤解を解けなかったのは私の責任ですね」

すみません、とあのいつもの優しい顔で謝る。
高耶は複雑な気分で俯いてしまった。
なにしろ誤解していたからとはいえ、直江には相当ひどい態度を取っていたのだ。だが誰が見たって誤解したくなるような状況である。
ここで謝るのもしゃくだった。

「高耶さん?まだ怒っているんですか?」

高耶の沈黙がいまいちはかり切れていない直江が心配そうに聞いてくる。
ふいっと視線を逸らしてしまった高耶に、直江は再び焦った。
高耶の腕を取って、再び胸に抱き込む。

「おい、離せよ」

高耶の尖った声に直江はさらに腕を強める。

「あなたが許してくれるなら」
「……おまえが悪いんだろ」

自分のせいだとは思いたくない高耶である。
もちろん直江もその辺の高耶の心理は分かっているから、あえて泥をかぶる。

「ええ、私が悪かったんです。反省しています」
「そうだ、おまえが悪い」

だいたいこの部屋に女をあげるからいけないのだ。
高耶がそう告げると、直江は少し首を傾げて聞いてくる。

「じゃあもう二度と、この部屋に女はあげません。それなら許してくれますか?」
「…それ、嘘じゃないだろうな」
「嘘なんてつきませんよ」

探るような眼になって高耶は直江を見つめた。
直江も高耶を見つめ返す。

「この部屋に女連れ込んだら、即別れるからな」
「分かりました」

告げながら、優しく口づける。

「寝なくたって駄目だからな」
「分かってます」

甘い口づけの合間に高耶は釘をさす。

「二度とするなよ」
「絶対にしませんよ」

そういうと、それ以上を遮るように深く口唇を重ねる。

「ん…」

高耶の甘い声が誤解の源の部屋に響き渡った。


その夜直江は1ヶ月ぶりの高耶の身体を堪能しつつ、心の内で大きな安堵の溜息を漏らしたのだった。




<おまけ>

翌日の午後、高耶を駅まで送り、どうせだからとホームまで直江はついてきていた。
発車時刻までのたわいのない会話を、直江は突然遮った。

「でも高耶さん、これからはなるべくこちらに来るようにしてくださいね」
「…なんでだよ」
「決まっているでしょう。私が浮気をしたと思ってしまったのは、ずっと会えなかったからですよ。毎日顔を合わせていれば、そんなこと思うはずもありませんから」
「……」

毎日顔を合わせて、何をするつもりなんだか、この男は。
呆れ果てた高耶は、直江を懲らしめてやるためにちょっとした意地悪を思いついた。
わざと冷たい口調を作って言う。

「おまえこそ、あの約束忘れてないだろうな」
「もちろんです。あの部屋には二度と女性は通しません」

高耶は直江を困らせようとして言っているのだろうが、直江にしてみれば可愛い独占欲だ。
当然、といったように笑う直江に、高耶は追い討ちをかけた。

「言っとくけど、外で会っても駄目だからな」
「…はい?」

直江の余裕が崩れる。

「…それはデートをするなってことでしょうか」
「それは当然だ。それだけじゃなくて、女と二人っきりで会うな。話もするな。したら別れてやる」
「そんなっ」

直江は仕事上、女性と二人きりで会うこともある。まさかそれもするなと言うのだろうか。

「そうだ」

だが高耶は容赦がない。

「ですがそれで別れるなんて…」

さすがに納得いかない様子の直江に、高耶はさらにとんでもないことを言い出した。

「じゃあオレも浮気しよう」
「高耶さん!」
「おまえが女と二人で会ってたら、オレも女と二人っきりで会ってやる。いや、男の方がいいかな?」

まるで小悪魔のようだ。
楽しそうに笑う高耶に、直江はさすがに頭にきて捕まえようとするが、高耶はするりと電車に乗り込んでしまう。
おりしも発車時刻が迫り、ホームにはベルが鳴り響いていた。

「高耶さん、待ちなさい!」
「ああ、言い忘れてたけど」

窓から顔を出した高耶はにっこりと付け加えた。

「服から香水と化粧の臭いがしたら、即浮気してやるからな」
「そんな…!」

だが直江の反論も待たず電車は動き出し、高耶は窓から機嫌良さそうにひらひらと手を振って帰っていってしまった。


それ以来、直江は高耶と会う前には必ずシャワーを浴び、着替える羽目になったのである。





[終]

紅雫 著
(2000.02.03)


[あとがき]
朱璃様のリクエスト「拗ねる高耶さんと焦りまくる直江」というコンセプトで書いてみました。
しかし「拗ねる高耶さん」じゃなくて「怒る高耶さん」のうえに、直江はあんまり焦ってない(爆)。わざわざ「おまけ」をつけたのは、直江を焦らせるためです。結局奴は落ちに使われる運命にあるのね…(笑)。
こんなものでよければ、朱璃様に捧げさせていただきます。555HIT、本当にありがとうございました。


<戻 目次


サイトに掲載されている全ての作品・画像等の著作権は、それぞれの製作者に帰属します。
転載・転写は厳禁させていただきます。
Copyright(c)2000 ITACHI MALL All rights reserved.