【後編】
バイトが終わって店を出てきた高耶の前に、見慣れたダークグリーンの車体と長身の男の影があった。 「高耶さん、お久しぶりですね」
いつもと変わらぬ優しい声。
「…何の用だ」 そっけない高耶の言葉に、直江は真率な顔になった。
「私が浮気をしたからですか」
伏せていた目を上げ、ものすごい目で睨みつけてくる。 「こんなところで話す内容でもないでしょう。乗って下さい」
どこか有無を言わせない口調に、高耶は再び反発を覚えるが、確かにいつまでもここにいるのはまずい。
てっきり駅前のホテルか何かに連れて行かれるのだと思い込んでいた高耶は、高速に乗った車を見て慌てた声を上げる。
「どこっていつものマンションですよ」 この男は何を考えているのか。
「冗談じゃねぇ!オレはそんなとこに行かない。今すぐ降ろせ!」 いけしゃあしゃあと告げてくる男に、高耶は本気で殺意を覚えた。 「直江…、今すぐ降ろせ」 もう一度だけ押し殺した声で言うが、直江はがんとして譲らなかった。 「あそこでなければだめなんですよ。どうぞ、眠かったら寝ていて下さい。着いたら起こしますから」
これ以上何を言っても無駄だと悟った高耶は、ひとまず大人しくシートに身体を預けた。
対する直江は、決して余裕があったわけではなかった。 (これ以上こじらせれば、二度と会えなくなる)
そんな恐怖に取りつかれていた。
「話を聞こうか」 高耶は無表情で冷たく言い放つ。
「高耶さん、私が浮気をしたと思ってるんでしょう?」 直江の言葉に高耶はふん、と鼻を鳴らす。
「その様子じゃオレがこの部屋に来たことも気づいてるんだろ?それでよくそんな嘘がつけるよな」 頑なな高耶の態度に、直江の表面上の余裕も崩れ始めた。 「おまえの言葉なんて信じない。だいたいオレはおまえなんか好きじゃないんだ。もう関係ない」 高耶の言葉に直江もいい加減切れた。 「好きじゃない?じゃあなんでここに来るのを嫌がったんです。…妬いているんでしょう?」
だがこれは、言ってはいけない一言だったのだ。 「妬いてる、だと!?ふざけんな!オレは怒ってるんだ。約束やぶっといて、よく平然としてオレの前に出られるよな。どうゆう神経してるんだよ!」
激昂して叫びまくる高耶に、直江は圧倒されたように黙り込んだ。 「おまえの顔なんか、もう二度と見たくない!…分かったら出てけよ。オレの前から消え失せろ!」 ここは直江のマンションなのだから、本当なら高耶が出て行けばいいのだが、怒りで頭が沸騰している高耶はそんなことには気づかない。
「高耶さ…」 しばらく出て行けコールをしていた高耶だが、動かない直江を見て自分が動いた。 「おまえが出て行かないなら、オレが出てく」 直江は慌てて引き止める。
「待って下さい、高耶さん!」
これは言葉で言っても駄目だ。 「はなせ!」
暴れても離さない。 「…はなせよ、この浮気者!おまえなんか嫌いだ…っ」
直江は逃げられない程度に腕を緩めると、高耶の顔を覗き込んだ。
「やめろっ」 高耶は泣き止まない。 「おまえなんか…っ」
後はもう言葉にならなかった。しゃくりあげながら、直江を責めた。
「高耶さん、見てもらいたいものがあるんです」 高耶は震えた声で拒絶する。
「なぜ嫌なんです」
直江は突然高耶の腕を掴んだ。
見たくないのに視界にベッドが飛び込んでくる。そこも、リビングと同じようにあの日のままだった。
「よく見てください」
高耶の顎を捕らえ、無理矢理ベッドの方に顔を向かせる。
「なんでこんなことするんだよ…っ!」 直江は高耶を上向かせ、じっと瞳を覗き込んで真摯に告げた。 「何も、なかったんです。ほら、よく見て下さい。何もないから」
くり返し告げて、高耶の顔を再びそっとベッドに向ける。 「――――ほら、何もないでしょう?」 確かにシーツは乱れているが、直江の言う通り汚れはなかった。 「事情を話しますから、聞いてくれますね?」 直江の言葉に、高耶は戸惑いながらも頷いた。
直江の説明に、高耶は眩暈がした。 (…ようするに、単なる勘違いってわけか!?)
だが勘違いされても仕方ない状態だったことは確かである。 「あの日は私も疲れてましたから…。でもすぐに会いに行って誤解を解けなかったのは私の責任ですね」
すみません、とあのいつもの優しい顔で謝る。 「高耶さん?まだ怒っているんですか?」
高耶の沈黙がいまいちはかり切れていない直江が心配そうに聞いてくる。 「おい、離せよ」 高耶の尖った声に直江はさらに腕を強める。
「あなたが許してくれるなら」
自分のせいだとは思いたくない高耶である。
「ええ、私が悪かったんです。反省しています」
だいたいこの部屋に女をあげるからいけないのだ。
「じゃあもう二度と、この部屋に女はあげません。それなら許してくれますか?」
探るような眼になって高耶は直江を見つめた。
「この部屋に女連れ込んだら、即別れるからな」 告げながら、優しく口づける。
「寝なくたって駄目だからな」 甘い口づけの合間に高耶は釘をさす。
「二度とするなよ」 そういうと、それ以上を遮るように深く口唇を重ねる。 「ん…」 高耶の甘い声が誤解の源の部屋に響き渡った。
翌日の午後、高耶を駅まで送り、どうせだからとホームまで直江はついてきていた。
「でも高耶さん、これからはなるべくこちらに来るようにしてくださいね」
毎日顔を合わせて、何をするつもりなんだか、この男は。
「おまえこそ、あの約束忘れてないだろうな」
高耶は直江を困らせようとして言っているのだろうが、直江にしてみれば可愛い独占欲だ。
「言っとくけど、外で会っても駄目だからな」 直江の余裕が崩れる。
「…それはデートをするなってことでしょうか」 直江は仕事上、女性と二人きりで会うこともある。まさかそれもするなと言うのだろうか。 「そうだ」 だが高耶は容赦がない。 「ですがそれで別れるなんて…」 さすがに納得いかない様子の直江に、高耶はさらにとんでもないことを言い出した。
「じゃあオレも浮気しよう」
まるで小悪魔のようだ。
「高耶さん、待ちなさい!」 窓から顔を出した高耶はにっこりと付け加えた。
「服から香水と化粧の臭いがしたら、即浮気してやるからな」 だが直江の反論も待たず電車は動き出し、高耶は窓から機嫌良さそうにひらひらと手を振って帰っていってしまった。
[終]
紅雫 著 [あとがき] 朱璃様のリクエスト「拗ねる高耶さんと焦りまくる直江」というコンセプトで書いてみました。 しかし「拗ねる高耶さん」じゃなくて「怒る高耶さん」のうえに、直江はあんまり焦ってない(爆)。わざわざ「おまけ」をつけたのは、直江を焦らせるためです。結局奴は落ちに使われる運命にあるのね…(笑)。 こんなものでよければ、朱璃様に捧げさせていただきます。555HIT、本当にありがとうございました。 |
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