Last Song
<3章>
一日のほとんどを抱き合って過ごした。
気がつけば、もう夕方になっている。
「高耶さん。今から夕飯を作るのは面倒でしょう?どこかに食べに行きませんか」
「いいけど。どうせもう予約してあるんだろ?」
「よく分かりましたね」
「おまえの顔見れば分かる」
瞬間、高耶が浮かべた表情を、直江は見逃していた。
じゃれ合いながら着替える。
ずっと裸でいたせいか、改めて服を着るのがなにか気恥ずかしい。
身支度が整った高耶に、直江がラッピングしてある小さな箱を手渡した。
「なにこれ?」
「本当はあなたが欲しいものをあげた後で出そうと思ってたんですが、あなたが欲しがったものが予想外だったので」
「欲しいものはもうたくさん貰ったけどな」
照れたようにうそぶく高耶に、直江は「おや?」と片眉を跳ね上げる。
「まさか、あれで満足して終りってことはないですよね?」
「………おまえ、なに考えてる?」
「もちろんこれからの二人のことです」
どうやらこの男、まだまだ元気らしい。
高耶は呆れた溜息をついて、渡された小箱を開けた。
中には、シンプルなシルバーリングが入っている。
高耶の瞳が大きく見開かれた。
「これ……」
「誓いの指輪です」
直江は静かに高耶の手から取り上げて指輪を取り出すと、高耶の左手の薬指に嵌めた。
「これからも、二人共に在ることを」
「直江………」
「この指輪に誓います」
そう言って差し出された直江の左手の薬指には、同じデザインの指輪が嵌まっていた。
高耶の指輪を嵌めた手を取り、甲に静かにくちづける。
その瞬間、涙が零れた。
「直江―――……」
「高耶さん、どうして泣くの?」
強く抱きしめられて、肩に顔を埋めて静かに泣く。
胸が痛む。
嬉しいのか、哀しいのか。
両方なのか。
幸福感なのか、罪悪感なのか。
両方なのか。
終りが分かっていても、しあわせになりたい。
終りを知っていても、しあわせになれる。
愛している――――。
この言葉に、嘘はない。
久しぶりに、二人並んで歩く。
散歩がてら、歩いてレストランに行くことになった。他愛もない話をしながら、ゆっくりと足を進める。
街は始まったばかりの夏休みに、少し浮き足立っているようだ。いつもより多めの人通りの中を、二人だけの速度で歩く。
ここにもまた、幸せな時間。
ふと、高耶の視線が一軒の花屋で止まった。
「どれが欲しいんですか?」
すかさず直江が聞いてくる。
「別にいいよ」
「どれでもいいなら、薔薇にしましょうか」
「どうしてそうなるんだ……」
どうしても花を贈りたいらしい。
高耶は苦笑して降参した。
表に並んでいた、白い花を指差す。
「カスミソウですね」
そこで待っているように告げて、直江は花屋に入っていった。
店員に話しかけている直江を見て、また高耶は微笑む。
大袈裟なのが好きな男だ。
恐らく抱えきれないほど買ってくるんだろう。
幸せな想像。
それが崩れる瞬間は、今は考えたくはない。
薄暗くなり始めた空を見上げ、高耶は小さな声で歌い出した。
ねえ キスをして 抱きしめて
側にいて 離さないで
「愛している」って囁いて
貴方が欲しい 貴方しかいらない
最後の祈りを どうか叶えて
全て叶わないのなら せめて貴方の胸で終らせて
遠くから車の音が聞こえてくる。
ふと目を閉じたとき、高耶の足元をすり抜けて小さな塊が道路に飛び出した。それを追って、もう少し大きな影が脇を抜けていく。
転がり出たボールを追って、子供が車道に飛び出していた。
車の排気音がすぐ側で聞こえる。
白っぽい車体が目に入った。
咄嗟に動いた身体。
弾けるような衝撃。
鈍い音。
遠くで悲鳴が聞こえた気がした――――。
世界が止まる。
一瞬の出来事。
目の前の光景が信じられない。
アスファルトに広がる赤。
銀の車体にこびり付いた朱。
愛しい身体を染めていく紅――――。
「高耶さん!!」
駆け寄って抱き起こす。
周りの「動かすな!」「救急車を!」という叫び声も、直江の耳には届かない。
「高耶さん、高耶さんっ!」
スーツが汚れるのも構わずに、血に染まった身体を抱き上げて、必死で呼びかける。
地面に落とした白い花が、赤くなる。
左手の薬指に光っていたはずの指輪も、赤くなっている。
閉じた瞳が恐い。
流れ続ける真紅が怖い。
「目を開けてください、高耶さん!」
ぴくり、と瞼が動いた。
「高耶さん!?」
「………なおえ…………」
うっすらと開いた瞳が、ようやく直江を映す。
「高耶さん………っ」
安堵のあまりか直江の瞳から涙が零れ落ちて、高耶の頬に弾けた。
すぐ側にある愛しい男の顔から、高耶は自分が直江に抱かれていることに気づいた。
その瞬間、全身に走る痛みを忘れた。
(神様――――)
命を懸けた願いは、今叶ったのだ。
(おまえがいる………)
「なおえ………」
(おまえの腕の中にいる………)
どうか、泣かないで欲しい。
きっとそれは無理だろうけど。
自分の願いは叶った。
あとは、おまえだけ。
今、最後の願いを神に祈ろう。
(どうか、直江がしあわせになりますように)
しあわせに包まれて、高耶は微笑みを浮かべた。
そのまま祈るように瞳を閉じる。
「高耶さん!」
直江の声が遠い。
「目を開けて!俺を置いて逝かないで、高耶さん!!」
世界が遠い。
ああ、そうだ。
これだけは言わなければ。
(愛しているよ、直江――――)
ゆっくりと、直江の腕の中で高耶の重みが増していく。
いつのまにか、流れ出す真紅は止まっていた。
そして、たったひとりの時間が止まった。
「高耶さん!!」
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