OATH 〜ずっとそばにいる〜


【8】





高級住宅街の一角に、一際広大な敷地を持った寺がある。それが直江の生家である光厳寺だった。
直江の運転するウィンダムはゆっくりと門をくぐり、家族用のガレージへと入っていった。


「橘…?」

自宅にかかっている表札を見て、高耶は首を傾げた。
直江の家なのに、なぜ橘なのだろう。

「どうしました?高耶さん」

車をしまっていた直江が高耶に追いついて、声をかける。

「直江、なんで橘なんだ?」

高耶は疑問をそのまま口にした。

「ああ、説明していませんでしたか」

すみません、と柔らかく微笑んで、直江は理由を教えた。

「実は私には名前が二つあるんですよ。『橘義明』と『直江信綱』と。『直江』というのは母の実家の名前なんです」





『直江』は名門の家柄だった。しかし義明が7歳の頃に代が途切れそうになり、義明を跡取りとして養子に迎えた。
その際、直江の人間として名前を変えられたのだ。
だが、突然家族から引き離された義明は情緒不安定になり、自殺まがいのことを繰り返すようになった。
その頃ちょうど義明の祖父である人間が亡くなり、『直江』は義明のものとなった。

これを機に義明はもとの橘の家に戻ったのだが、直江家の財産を継ぐものとして、名前は直江信綱のままにしておかれたのだった。



「じゃあ義明って呼んだ方がいいのか?」

良く分からないといった顔をして、困ったように高耶が聞く。
直江は安心させるように笑って、

「いいえ、高耶さんは『直江』と呼んで下さっていいんですよ。それも私の名前なんですから」

というと、優しく髪の毛をすいてやる。それで高耶はほっとして目を細めた。

「さあ、中に入りましょう」





直江が高耶を連れて帰ってきた時、家には両親はもちろん、二人の兄となぜか嫁に行った姉までいた。
直江の家族、いや、橘義明の家族は皆優しい人ばかりだった。
あの葬式で陰険な陰口を叩いていた連中も橘の血縁だが、どうやらかなり遠縁らしく、顔を合わせることはまず無いだろう。
高耶の養父は同じ橘の血縁者だった。

「高耶くん、これからは家族なんだから遠慮はしないでいいからな」
「自分の家だと思って楽にしてね」

誰も彼もが高耶を構いたがる。
最初は緊張していた高耶も、暖かいお茶や優しい言葉に、だんだんとくつろいできたようだった。

(それにしても…)

と直江は思い、高耶の側でにこにこ笑っている姉を見ながら、2番目の兄である義弘にこっそり声をかけた。

「照弘兄さんがいるのはいいとして、なんで冴子姉さんまでいるんですか」

照弘とは長男である。同じ敷地内にいることもあり、よく顔を見せるので今ここにいても不思議ではなかった。
だが冴子は東京にいるはずだ。

その疑問に、義弘は苦笑いをしながら答える。

「この間の葬式で高耶くんを見かけて、ずいぶんと気に入ったようだったからな。わざわざ彼に会いに来たんだろう」

直江は思わず額を押さえた。
普段は直江が帰ってくると自分の世話ばかり焼く母も、今日は直江など無視して高耶にばかりかまっている。
それは全くかまわないのだが、まるでオモチャ状態の高耶が気の毒だ。

だが、今まで家族といえば養父だけだった高耶には、戸惑うことはあっても迷惑だとは思わなかった。
それどころか、まさか自分がこんなふうに歓迎されるとは思わなかった。

なんだかくすぐったい気分でふと視線を上げると、少し離れたところから直江も優しく笑いかけてくれた。
嬉しくなって、高耶は思わず微笑んだ。

まるで天使のような純粋で透明な微笑み。

直江は自分の中の獣が動くのが分かった。必死で押さえつけながら、高耶に微笑み返す。
いつまでこのままでいられるだろう。
初めて会った時から育ちつつあるこの感情。
この人を傷つけたくない。壊したくない。
だが、自分の理性の歯止めがだんだん効かなくなっているのも分かる。
今は家族がいるのがありがたかった。まだ、高耶の無条件の信頼を踏みにじりたくはなかったから。

それでも自分の獣のような感情は暴れて叫んでいる。

(愛している…)

いつかきっと傷つけてしまう…。
それを恐れながらも、直江は獣を殺すことができなかった。





それから1週間後、直江は高耶を残して東京へ戻った。
心理学会と病院の仕事、それに高耶が東京で暮らすための準備のためだ。

高耶は最初「一緒に行く」と言ったものの、直江がほんの数日で戻ること、その間1人ではなく橘の家の人がいることもあって、大人しく留守番をしていることになった。

前はあんなに駄々をこねたのに、と少し寂しく思いながらもほっとする。

「それじゃ高耶さん、3日ほどで戻りますから、待っていて下さいね」
「うん…」

高耶は一瞬心細そうな瞳になるが、素直に頷く。
直江は優しく笑って頭を撫でてやると、

「おみやげ買ってきますから」

と言って車に乗り込んだ。

ダークグリーンのウィンダムが走り去っていく。高耶は門まで出て、影が見えなくなるまで見送っていた。

このとき高耶を置いていったことを、後日直江は深く悔やむことになる。





[続]

紅雫 著
(2000.02.08)


[あとがき]
「ようやくここまできたか」という気分です。第1部が終わってから今までの話は、実はただの挿入話で、これからが本題なんですよね〜(笑)。
それにしても、ようやく連載らしい「引き」がラストに入って嬉しいです。今までって本当に話を途中でぶった切った感じでしたから(笑)。
それでは次回をお楽しみに♪


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